フィリピン🇵🇭マニラを回想する
ここ数週間、ルフィのニュースが飛び交い、逃亡先のフィリピンが紹介される。TBSのコメンテーターが発展途上国を蔑むような報道をしてしまうことに慎重になるべきだと言っていたが、全く同感だ。国にはそれぞれの文化があり、日本みたいにこうしてほしいなとか、他国への価値基準の強制を強いるのは浅はかである。
10年前フィリピンに居住していた時を懐かしく回想してみようと思う。今はどうなっているかなと思う反面、変わらずあってほしいとも願う。
1 リトルトーキョー
足繁く毎週のように通った。関取の手打ちうどんは逸品。大将はよく新鮮な魚をサービスしてくれた。カマトロは頬が落ちそうなほどだったし、塩からじゃがバターは絶対頼むつまみ。サンミゲルがどんどん進む。
中に入ると、お好み焼きの神楽、そしてキクフジ、うらめしや。うらめしやの焼肉は安くて良い。ビールを頼みカルビを焼きまくって同僚と飲んだ。リトルトーキョーの周辺には高めの、確か龍山だったか焼肉屋もあったかな。花売り少女、スリの少年たち、そしてマカティシネマスクエアは用もないのに闊歩した。リトルトーキョーで飲んだ後はブルゴスによく行った。リトルトーキョーだけで文章がどんどん進んでしまう。
2 エドサ通り
ここはMRTタフト駅の歩道橋だったか。マニラには崩れそうな歩道橋がよくある。エドサ通りは激混みで特に通勤時は通れたもんじゃない。北はケソン、南西にはロハスブルーバードとマニラの南北を貫く大動脈である。よく訪れたエドサコンプレックスは無くなってしまったようだ。マニラ湾の夕日はものすごく美しかった。
3 ゴルフクラブ
東南アジアのゴルフは格安だった。写真はカビテの方にあるコース。マニラ中心部にもコースは種々あった。ビリヤモール、ネイビー、アーミー、それぞれ打ちっぱなしも併設されていて小僧にボールを置いてもらう方式のそれが懐かしい。ビリヤモールを早朝5:30から周り、クラブハウスでバケットのサンミゲルとキニラウ・タニゲ(これは白身魚の酢漬けサラダ)が格別だった。
4 BGC
ボニファシオは整備されていて過ごしやすい。ハイストリートはショップが立ち並び、どこの国にいるのか分からないくらい多国籍の客が休日を過ごしていた。フィリピン料理のAbeやテキサスと呼んでいたステーキ屋のアイアンステーキは美味だった。接待用のmellowsは高級ステーキ屋、ここはバカ高かった。買い物はよくマーケットマーケットに行った。ここは家具家電、衣類雑貨、食品となんでも揃い便利であった。
フィリピンの思い出はnoteに書き残していないと風化してしまいそうだ。書くと思い出すので、定期的に整理していきたい。
4 最後に
急速に発展したフィリピンの都市開発や人口増加の影に環境軽視や経済格差を垣間見た。それでもフィリピンの人々はハッピーな笑顔で過ごしているように見える。外国人居住者としてどうあるべきか、あからさまに支援という立場や先進国からお邪魔しますといったスタンスではなく、謙虚に同じ地球人として発展を歩む姿勢や友好な心持ちが大切だと、今も切に思う。
彼らの思いを蹂躙するように、犯罪の隠れ蓑として利用する思考は到底納得できない。
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