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一番印象に残っている先生のこと1。

こんにちは。

私の生い立ちをご覧の方はなんとなくお分かりでしょうけど、、、まあ、ひどい家でありまして、、、。今なら、私は幼児の時期に保護されていることでしょう。

そして、印象に残っている先生って、そんなに居ないもんだなあと思います。

ふと、、、4歳の頃にはひらがなを、5歳の時は時計の見方や足し算を父親に叩き込まれ、できないと遊びに行かせてもらえなかったことを思い出しました(友達が来ても追い返されていた)。

まあ、余計に歪みますね。

小学校1年になると、親と学校の教え方との違いで混乱し、また必要以上に早くに「勉強すること」を叩き込まれ(読んで字のまま)た反動が出て、全く勉強しない子になっていたようです。

教材もどこかに捨ててしまって数が合わなくなっていたり、、、。どうぜぶん殴られるのですから、親の見ていないところで喧嘩したり、遊んだりしていましたね。

そこで、(自分のことしか守らない)母親が小学一年の担任の先生に「勉強しない、できない」ことを相談したみたいです。

その時の先生の話を母親曰く「この子はたくさん遊ばないと勉強しないよ。たくさん遊べば勉強しなきゃと思うはずだから」と言ったようで、不満げな顔をした母親の顔を思い出します。

その先生には分かっていたのでしょう。そして喧嘩しても怒られることはなかった。こどもながらに、「この先生はわかってくれているんだな」と思っていました。できたら6年間担任でいてほしかったな。

その後印象に残る先生は見つからず、決まってタイミングの悪い私はイタズラをしては怒られる(叩かれる。当時は教師も体罰当然の時代です)小学校生活を送る事になりました。

落ち着きがなく、言う事を聞かない「問題児」扱いでしたね。

小学校高学年では、読書感想文を「間違った例」と学級頼りに載せられたこともありました。
あれは、若い頃だったら、「それやりすぎなんじゃない?、目の前で学級頼りを破いてやるぜ」と言いそうでしょうね(この話は別の機会に)。

もう歳なんだし、そんなことは言いませんけど(まあその先生、思想的にガチの『左』だったみたいで、気に食わなかったんでしょう)。

つまらない話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。



数秘術からのメッセージを受け取り、自分との対話で豊かな人生を送れますように。