F1ジャーナリストへの道が閉ざされた話

 こんばんは南風です。さて、タイトルにもある通り私はF1ジャーナリストへの憧れとともにありました。一時期はずっと友達に「F1って知ってる?」と。もはやアムウェイの勧誘ですね。

 誤解のないように言いますが「今」はF1ジャーナリストへの道が閉ざされたということです。ではその経緯をいつも通り砕けたように話したいのですが、熱くなりすぎるかもしれません。ご了承を。

F1ジャーナリストへ憧れたきっかけ

 私は中学3年生の時に、リアルタイムからおよそ20年の時を越えて1992年モナコGPでのセナとマンセルの争いを見ました。

 F1ファンの父を持ちながらも、それまで全く興味を示さなかった私がすっかり虜になってしまう、いわば人生のターニングポイントとなる瞬間でした。

 それから1年半後、人生2度目の鈴鹿サーキットでのF1観戦を経験します。ちなみに1度目は小学生になるかならないかの頃でしたので、あまり記憶がありません。

 その時既にエンジンはパワーユニットと呼ばれるものとなっており、一部では「音がよくない」と非難もされていましたが、そんな音であっても、生で聞いた私は人生で1番の感動を覚えたのです。

 父とチケットを眺めながら席へと歩く道中、PUが始動しました。独特な咆哮はサーキット上空に、私の感性にこれ以上なく響き渡りました。

 感情を表に出す事があまり得意ではないのですが、その時ばかりは「感動」を貼り付けたような顔をしており、そんな私を見た父もまた、笑顔でした。

 この日、当時ティーンの私は「この魅力を伝える一助になりたい」と強く感じました。←エントリーシートの書きすぎ

 さておき、なぜジャーナリストの方角だったかと言いますと、単純に文章を書くことが好きで、文章が一番自分の魅力だと感じていたからです。

 noteでは砕けた文体で、思いついたことをつらつらと書いているので「魅力なんかねーよ、ビッグマウスかよ、マルコかよ」と思われるかもしれませんが、私は自分の文章が好きです。

 ほらまた話が逸れとるがな。そんなわけで、受験生であった私は進学先もF1ジャーナリストへの道を考慮した上で決めたのでした。

私の思うジャーナリズム

 ジャーナリズムは、ゴシップではない。カッコイイことを言ってみたいお年頃。南風です。

 「ホンダF1、〇〇か?」のような記事がコロナと共に蔓延るこの頃。これって事実確認してるのでしょうか。この時代にそんな妄想を膨らませた記事をアップしていいのでしょうか?

それってジャーナリズムとは言えない!

英語を勉強しようじゃないか

 F1に関わらず、言語は英語がマジョリティですし、マストになってきています。留学で歯痒い経験もし、本気で英語に取り組み始めました。

 幸運なことに、大学には英語のスキルが高い友人が多くモチベーションの維持へとつながりました。彼らには感謝しかございません。勉強の詳細は下のリンクに。↓

https://note.com/shu0617/n/nbceafd7a2166

TOEICの点数が上がったところで英語力が上がったわけではありませんが、あくまでもインプットの一環としてのTOEICであります。

はじまる就活、夢への終活

 就職活動が始まりました。さて、F1のジャーナリストへの道筋というのはどのようなものがあるでしょうか?

 一般的にはF1関連の出版社へ入社し、経験とブランド力を得て独立のような流れが巷では言われています。しかしながら、昨今の出版不況も相まって、新卒募集をするモータースポーツ系出版社はありませんでした。

 予想はしていたので驚きはありません。「自分たちの代だけ新卒募集しないかな」なんて甘い期待もしましたが、無論、世の中そんなに甘くはございません。

 本屋で片っ端から出版社をメモしては電話を掛け採用交渉をする日々でしたが、やはりこの状況では厳しいという結論に至りました。

だがまだ諦めたわけではない

 ところがどっこい、こんな所で夢を諦める南風ではないのです。ちなみに南風というペンネームは、このような自分に吹く北風に立ち向かうという願いを込めています。

 また話逸れとるがな。誰もワシの名前なんて興味ないがな。

 今は厚い壁の前に立っていますが、「ショーシャンクの空」のデュフレーンのように時間をかけて壁の外へ這い出てみようかと。

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