JaLoGoMa2024 振り返り day0 〜洗礼のポトラック〜
本来、こういった振り返りは、当日もしくは翌日には整理して済ませておくのが好ましいことは100も承知だが、過ぎてしまったものは仕方がない。
2週間も過ぎてしまっているが、ご愛嬌。
この度のスタートは、2024年7月27日に日本を発つところから始まった。
シアトルの乗り換えを含めて約12時間の移動で、もう一度27日の17時にポートランドに到着した。
ポートランドを訪れるのはこれで3度目。
前の2回は完全な個人旅行で、前回訪れた2回目の訪問では、ポートランドの縁が繋いでくれて知り合った社会活動アーティストのヤマナカ ミドリさんにまちを案内してもらい、自分の足では知ることのできないポートランドを知ることができた。その時の記録もどこかの機会で整理したい。
そして、今回参加したJaLoGoMaプログラムもミドリさんから勧めていただいて参加することになった。
もう全て事後の振り返りなのでここでもう言っておきたいが、このプログラムは毎日がエモーショナルな出会いと経験の連続だった。おそらくこの先の人生で何度も何度も振り返り、人に話し、あいつまた話してると言われるであろう、それくらい私にとって価値のあるものだった。
この年の参加者を含む全ての内容が今の私に最良の機会だったのだと思う。
鉄は熱いうちに打て。思い立ったが吉日。犬も歩けば棒に当たる。
そろそろ旅の内容に入る。
今回の訪問では、ミドリさんが紹介してくれたクラフトデザイナーのタカさんのお宅に滞在期間中全て泊めさせていただいた。
家は1898年に建てられた戸建住宅で120年以上経っている。至る所に古さはあるが、1世紀以上経っているなんて微塵も感じさせない素敵な空間で、流石デザイナーといった感じで置かれている家具もミッドセンチュリーのデザイナーのものが多く、たくさんの絵画やアートポスターで飾られた壁面は賑やかで、活き活きとしていた。
緊張と興奮まじりで荷物を下ろしたのも束の間、早速ポートランドの洗礼を浴びることとなる。
事前に伺っていたが、この日はポトラック(PotLuck)というアメリカではポピュラーなホームパーティーが予定されていた。
私が到着して1時間も経たないうちに、タカさんのご友人3名が来られた。そう、もちろん会話は全てEinglish。元々ろくに喋れるわけではない上に気持ちの準備も整っていないのでただただその場の空気に飲まれてしまった。
そしてそうこうしているうちに広い家の中は50人近い友人知人で埋まっている。
旅の疲れを口実に自分の部屋に逃げてしまおうかと頭をよぎるが、ここは自分を奮い立たせて缶ビールとグラスワインを流し込み、結果何人かと話をすることができた。
もちろん、参加者の中にいらした日本人の方々に助けられたことは言うまでもなく、心より感謝を伝えたい。
そして本題のポトラック(PotLuck)について。
ポトラックとは、パーティのホストが料理や飲み物をすべて用意するのではなく、ゲストが一品ずつ料理や飲み物を持ち寄って楽しむカジュアルなパーティースタイル。ホストが全て準備する訳ではないので負担が少なくて済むし、ゲストはお金を払う代わりに自分の好きなものを持ってくればいいので、参加もしやすい(と思う)。
今回のホストであるタカさん曰く、「人を招くのでそれなりに部屋の片付けやレイアウト、料理の準備など楽じゃないけど、部屋を片付ける口実にもなるからね!」とおしゃっていたが、隔月くらいの間隔で開いているそうなので、やっぱりこの時間が好きだから少し手間でも開きたくなるのだろうと思った。
それはゲストも同じで、会場の雰囲気からもこの豊かな時間を心から楽しんでいることが伝わってくる。広い家のキッチン、ダイニング、リビング、テラスに分かれてお互いに持ち寄った料理を挟んで、友人や顔見知り、この日初めて会う人も一緒に楽しむこの光景は、喜びに溢れていた。
タカさんのポトラックの参加者の多くは、同業の方々がメインで、アーティストやギャラリスト、建築家、アパレル関係の方が多く来られるらしい。
また、ポートランドは親日の方が多く暮らしているということもあってか、パートナーが日本人の方も多く一緒に来られていた。
(自分が日本人だからついつい日本人に注目してしまうが、他の方々もさまざまな国をルーツに持つ人ばかりであり、それがアメリカであることは念頭に。)
ちなみに、このパーティーにレザーのランドセルで有名な土屋鞄のスタッフの方も日本から来られていた。後日(7/31)、ポートランドに出店する店のオープニングイベントがあるとのことだったのだがイベントには行けず。
お店はこちら→https://maps.app.goo.gl/ULcVd7G4ayfakjVa7
このポトラックでは、建築家のクリストファーとも知り合いになった。
彼は相当な親日家で、日本も37回訪れているらしい。私はこれから先そんなにアメリカに行けるのか?
現在彼が現場監理を請け負っている巨大な住宅があり、滞在の最後に案内していただくことができた。これは別の記事として書きたいと思う。
彼と話をしていて、改めて自分は建築が好きだし、建築/Architectureという共通言語を持って世界中の人と対話できることの喜びと、十分に思いを伝えられない言語の障壁のもどかしさを痛感した。
今改めて思うのは、言語の障壁がクリアできれば、私は世界中どこでも自分をもっと表現して、多くのことを実現できるようになっている思う。おそらくこの5年くらいの自分の変化。以前よりもクリア。
ゲストの皆さんに心配されたJet lag(時差ボケ)を感じることもなく、ベッド倒れて旅の1日目は終了。
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