さいとうしょうたの自己紹介
「稲とアガベ」という、変な名前のものづくりベンチャー企業に勤務するさいとうしょうたと申します。
自己紹介の記事を開いていただき、誠にありがとうございます。
このページは自己紹介のページです。
ステータスが変わる度に更新していく予定です。
(当初投稿:2022年11月23日)
(更新:2024年1月15日)
1987年10月16日、神奈川県川崎市生まれ。最寄り駅は武蔵小杉駅。
幼少期は武蔵溝ノ口駅近くにある某私立の幼稚園に通い、そのまま小学校にエスカレーター。
10歳のときに親がマイホームを購入し、公立の小学校に転校。町田市立鶴川第二小学校。当時はとにかく給食が美味かった。
そのときの新居=今の実家は東京都町田市。最寄り駅は小田急線鶴川駅です。神奈川県との県境スレスレだし、そもそも神奈川県町田市?ということもあり、東京よりも神奈川の方が親近感あり。
その後、東京都国立市にある中高一貫校、桐朋中学校・桐朋高校を卒業。
1年浪人した後、一橋大学社会学部に入学しました。
中高大と計10年間も国立にて学生生活を送ったことになります。
学生時代は、中高大通して「オリエンテーリング」というアウトドアなマイナースポーツに打ち込みました。
大学での最後2年間は競技活動のみならず、学生連盟の幹事職も務めました。4年生のときは「日本学生オリエンテーリング連盟」の幹事長(学生のトップ)という立場にもなりました。今思えば、このときの様々な経験が今に大きく生きていることは間違いありません。
大学卒業後、東日本大震災が発生した2011年に日本政策金融公庫の農林水産事業に入庫(入社)。公庫は他に国民生活事業、中小企業事業という部門もありますが、基本は事業部制の縦割り、あくまで農林水産事業としての採用です。
公庫農林水産事業の前身は「農林漁業金融公庫」というところで、農業・林業・水産業といった一次産業に対する資金融通に特化した会社です。一次産業の現場に極めて近い金融マンという、ちょっと珍しいキャリアのスタートを切りました。
2011年の入庫後、4か月間の研修を経て、最初は宮崎支店に配属。
2014年に秋田支店に転勤。秋田で特に様々な縁があり、今現在のキャリアに繋がることとなります。
2018年に和歌山支店に配属。国民生活事業(旧国民生活金融公庫)に事業間異動(社内用語)しました。
色々と思うことあり、「来年の夏に辞めますんで」と言って支店内異動を拒否(笑)
そんな不穏な動きをしたら、1年間で農林水産事業に戻されました。
もう少し和歌山でのんびりしながらこれからの人生考えようと思っていたら、2019年の夏に帯広支店ヘの転勤内示。
ちょっとびっくりしましたが、日本トップの農業産出額を誇る北海道の中でもさらに中心的な位置を占めるのが十勝。
支店で全国トップの融資実績を誇り旗艦店とも言える帯広支店での勤務を経験できたことは、公庫の最終キャリアとしてはこれ以上ないところで自信につながったし、ありがたい人の縁も数多くあり、自身のキャリアの中でも極めて重要な位置づけに今後増々なっていくと思います。
現在籍を置いている稲とアガベは2021年3月に創業したものづくりベンチャー企業。同9月に醸造免許を取得し本格稼働開始したお酒づくりを事業を核とする会社です。
当初から経理業務を中心にボランティア的に関わってましたが上記醸造免許の取得と時期を同じくして、ジョインすることを決断。11月に公庫に辞職の意思を正式伝達。
円満退社を優先させてもらうため(理由はそのうち別記事で)、退職時期は2022年の3月と設定し、それまではリモートで業務を行いながら月に1回は帯広と男鹿を行き来する日々。
2022年4月より正式に稲とアガベ株式会社に入社し、秋田県男鹿市に移住。
名刺にはCFO(財務責任者)と肩書がありながらも、経理も人事労務も総務も事務仕事何でも行う、いかにもベンチャー企業の総務的な立ち位置。
ちなみに名刺にCFOって書いてありますが、役員でも何でもなく、立場的にはただの平社員です(2022年11月現在)。
ここはそんな自分が、仕事のことやキャリアのことを書くnoteです。
ベンチャー企業の裏方仕事に興味がある人はぜひ読んでみてください。
なぜnoteを始めたのかということや、どういう風に運用していくかは次の記事をどうぞ。
(以上加筆の上、以降2024年1月15日に追記。)
noteを書き始めたのが2022年の年末も近くなった頃、その後の2023年は様々な新しいことに取り組み始めました。
2023年3月、男鹿のまちづくりを目的とした稲とアガベ㈱と㈱NewLocalの合弁会社である㈱男鹿まち企画を設立し、取締役として参画。
2023年6月、岡住と自分の他、稲とアガベの外部パートナー5名とサケ由来のクラフトジン製造を目的とした男鹿サケ蒸留所㈱を設立し、取締役として参画。
同じく6月からは、公庫秋田支店時代の担当先経営者から、経営のサポートを頼まれ、個人事業主としても開業をしました。
2023年8月には、稲とアガベと全く関係ないメンツで、男鹿・大潟を拠点とした国産稲わらの有効活用を目指すべく、㈱すとろーるーぷを設立し、取締役として参画。
その後の10月、稲とアガベのオウンドメディアを立ち上げるべく、ライターーさん男鹿に滞在して男鹿の人々を取材してくれました。そのときの記事が、2024年1月15日に公開されたこの記事。
さすがのプロの仕事というのを無茶苦茶に感じる記事。
今後の自分の人生での自己紹介用に積極的に使って行くことは間違いなし。どうして稲とアガベに入ったの?って聞かれたら今後この記事をまずお見せしていくことでしょう。
ここまで読んだ方はぜひこの記事もお読みください。
そしてさらに大きな立場としては、2023年末から稲とアガベ㈱でも役員となり、晴れて正式サブスクの身に(笑)
ただ、対外的な立場は変わりますが、やるべき仕事や働き方には何ら変わることはございません。実際にやってたことに、肩書が後から追っついてきただけです(ただおかげで対外的な仕事はしやすくなった)。
そんな2024年の1月になった今です。
ここまで読んで下さった方は、相当の物好きに認定です(笑)
今後のさいとうしょうたにも、どうぞお楽しみに。
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