自分が亡くなったあとのことを真剣に考える【無料記事・将来設計】
こんにちは。
日々、様々なことを勉強しているSHRKと申します。
30代半ばになり、いよいよ自分が亡くなった時のことを真剣に考えるようになりました。要は、私の後片付けですね。どの宗教で供養してもらうのか、自分の骨はどのようにしてもらうのか、特にこの2点を重要視しました。
どのように供養してもらいたいのか、結論から申しますと、私自身は葬式をやらなくていいと思っています。皆さんの家系では代々伝わる崇拝してきた宗教があると思います。私の家系は神教を崇拝してきました。しかし、私個人はというと、どの宗教にも属してない状況です。いわゆる無宗教ですね。なぜ、そのような状態になったのかというと、そもそも宗教に関心がない、どの宗教も言ってることがまともで間違っていないから選べない、信じるは己のみと言った考えが強いからです。葬式は日本の文化であり伝統であります。そのため、私が亡くなれば、必ず残った人が葬式をあげることでしょう。私自身は、葬式などしなくても、誰かの記憶や何かの記録に残れば、それが供養になるかなと考えています。私の為に葬式をやるぐらいなら、そのお金を違うことに使ってもらって少しでも幸せになってもらいたい。でも、葬式をやるのであれば、コスト的に考えて、密葬と神教の組み合わせでやってもらいたい。そういう考えに至りました。
次に自分の骨についてですが、結論から申しますと散骨を希望しています。しかし、それは残った人にしたら許さない行為で、口約束だけの本人の意向は無視して墓に埋葬するかもしれません。それも想定されますので、今のうちにエンディングノートを作成するか、私が埋葬される場所を用意しなくてはいけないかもしれませんね。但し、墓石を建てる方法だけではなく、併せて無縁仏として保管される場所を探して、埋葬の方法も検討しようと思います。私は離婚をして、独り身になりましたので、無縁仏になる可能性が高いのですから。墓については、自分で用意しておけば、その点は迷惑が掛かりません。しかし、その後の管理や墓参りなどで掛かるお金と時間の点については、迷惑を掛けることでしょう。そう考えると墓などの拠点は無い方が良いかもしれませんね。
死んだ後も迷惑は掛けたくない思いから、上記のような考えに至りました。しかし、今はそうでも将来は考えが変わるかもしれませんね。人は何時どこで死ぬかは分かりませんし、人であれば必ず迎えるイベントですので、準備はしておいた方が良いです。
最後に、新型コロナウイルスがいつか終息がすることを、皆さんがいつまでもご健康であることをお祈りしまして終わりとさせて頂きます。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もし宜しければ、有料記事、無料記事問わず、スキ、フォロー、シェアをお願いいたします。