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「天皇陛下万歳」と「天皇陛下弥栄」と

 先月2月23日、天皇陛下は61歳の誕生日を迎えられた。まことに慶賀に堪えない。
 コロナの影響により、恒例の天皇誕生日の一般参賀は昨年に引き続き中止となり、皇居における祝賀の諸行事も規模を大幅に縮小しておこなわれた。残念なことではあるが、コロナの収束こそ天皇陛下の強い願いであり、やむをえない。そしてまた、国民生活の安定を願い祝賀の諸行事の規模を縮小された叡慮に感銘するものである。
 ところで、天皇誕生日の一般参賀では、皇居宮殿の長和殿のベランダにお出ましになる天皇陛下を、参賀者が「天皇陛下万歳」の歓呼にてお迎えし、祝意を表すのが通例となっている。これは「聖寿万歳」ともいわれ、天皇陛下が末永くご健康であることを祈念するものであり、天皇陛下が一つ年齢を重ねられるお誕生日に相応しい祝意の表し方であろう。
 しかし、「天皇陛下万歳」という言葉がいつごろ成立し、使われ始めたかはよくわからないところがある。
 明治3年の天皇誕生日における海軍の祝砲礼式には「皆甲板上ニ列シ位ヲ正フシ万歳ヲ唱フ」などとあるが、そこで唱えられる万歳がただ「万歳」と発声したのか「天皇陛下万歳」と発声したのかは不明である。また、明治24年の文部大臣による小学校の祝祭日の儀式に関する規定には「学校長教員及生徒天皇陛下及皇后陛下ノ御影ニ対シ奉リ最敬礼ヲ行ヒ且両陛下ノ万歳ノ奉祝ス」などともあるが、これも「天皇陛下万歳」と発声し万歳三唱をおこなったのかどうかはっきりしない。とはいえ、大正4年の大正天皇の即位礼に際しては枢密院が天皇陛下万歳を三唱すると定めているところを見ると、「天皇陛下万歳」の語は明治時代のいずれかの時期には間違いなく成立しており、大正時代初頭には万歳三唱をもって天皇陛下万歳を唱える現在の形式が整っていたと考えられる。

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大正4年の即位礼における枢密院の奉祝順序の一部 「天皇陛下万歳」の言葉と万歳三唱の発声の仕方が記されている:JACAR Ref. A06050915200

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 他方、天皇陛下万歳ではなく、「天皇弥栄」という祝意の表し方も散見される。「弥栄(いやさか)」とは、いやますます栄える、いよいよますます栄えるといった意味であり、およそ万歳と同じ意味の言葉と考えてよいだろう。
 そうすると「天皇陛下万歳」と「天皇弥栄」で同じような意味合いながら二つの祝意の表し方があるということになる。これは一体どういうことであろうか。
 この問題の鍵となる人物が、筧克彦(明治5年~昭和36年)である。筧は東京帝大教授などを務めた法学者であるが、独自の神道思想を展開した人物でもある。
 筧は戦前、「天皇陛下万歳」ではなく「天皇陛下弥栄(すめらみこといやさか)」にかえていくべきであると主張した。
 その理由として筧は、万歳について、「外国伝来の言葉であり、また漢音の万歳(ばんぜい)と呉音の万歳(まんざい)のつぎはぎ」、「言葉の頭が『ば』という濁音であるのは、ガラガラやゴトゴトなどあまりよいニュアンスでない言葉に通じる」、「あくまで一個人の生命の長きを願うもの」、「この世を去ることを意味して不吉」などと述べる。
 他方、弥栄は日本の古語であり、濁音もなく、言葉の語感も「いやさかー」と末広がりでよい、天照大神や天皇の御霊は弥栄の霊であり、今後は天皇陛下も「すめらみこと」と古い言葉を使って「天皇陛下弥栄(すめらみこといやさか)」というがよいとする。
 率直にいって、筧の万歳の語への非難は、言いがかりに近いものを感じる。また、弥栄は日本の古語というが、具体的な根拠が示されていない。弥栄の霊云々というのも理解し難いものがある。
 しかし、筧の弥栄論は、筧一人に留まらず、各方面に受容された。例えば昭和天皇の弟宮である高松宮殿下は、紀元二千六百年記念式典における万歳(天皇陛下万歳)を弥栄と唱えようと提案しているが、これなどは宮中とも関わりの深かった筧の影響と考えられる。
 事実、天皇陛下弥栄の語こそ見られないが、昭和の時代に入ると「皇国ノ弥栄ヲ祈念」、「皇室ノ弥栄」、「聖寿ノ弥栄」といった語が散見される。
 また、筧の高弟で宮内官を務めるとともに少年団運動の中心にいた二荒芳徳は、天皇陛下万歳の言い換えとしてではなく、少年団の団乎として弥栄を唱えようと提案している。なぜならば二荒は、弥栄の言葉を不満の解消や病気の治癒、そして霊的な安定による死後の安心までを与えてくれる霊妙なものと位置づけるからである。弥栄の語は、天皇陛下万歳の言い換えばかりでなく、それそのものとして唱えられるべき語として広まっていった。
 こうした弥栄論について、そもそも弥栄は古語ではないという宮内省掌典の星野輝興の批判もあったが、ともあれ天皇陛下弥栄は広まるところとなり、それがいつしか「天皇弥栄」と縮まり、天皇陛下万歳とともに祝意の表し方として今に伝わっているのだろう。

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紀元二千六百年奉祝会で万歳をうける天皇皇后両陛下 両手をあげているのがわかる:JACAR Ref.A10110038400

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 天皇陛下万歳も天皇陛下弥栄(天皇弥栄)も、どちらが正しくどちらが間違いということもないが、何気なく使っている言葉にも様々な歴史があり、先人の思いがある。折に触れそのようなことを振り返って言葉に心を込めてみるのもよいではないだろうか。

参考文献

・筧克彦『日本体操 増補版』(筧博士著作物刊行会、昭和14年)
・昆野伸幸「二荒芳徳の思想と少年団運動」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊第51号、平成26年)
・濱田英毅「高松宮宣仁親王論─皇族としての終戦工作の行動原理─」(『学習院史学』第44号、平成18年)

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