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【朝鮮戦争70年】朝鮮戦争と日本─朝鮮戦争への日本の「参戦」と、青年神道家たちの再軍備反対運動─

朝鮮戦争と日本

 朝鮮戦争の勃発から間も無く70年。
 朝鮮戦争は戦後の日本に大きな影響を与えた出来事であり、「朝鮮戦争と日本」は、現代に生きる私たちがしっかりと考えなければならないテーマだ。
 そもそも朝鮮戦争は、朝鮮半島が南北に分断され、その一方の北朝鮮が韓国に侵攻することにより開戦したといわれるが、それではなぜ朝鮮半島が南北に分断されたかというと、日本の朝鮮統治が破局を迎えることにより、朝鮮半島北部はソ連、南部はアメリカが統治することになったからである。そして米ソが庇護する政権、つまり北朝鮮と韓国が誕生し、戦争へと突入していったのである。
 さらに朝鮮半島が米ソによって統治された原因を突き詰めれば、日本の朝鮮半島支配とその失敗に行きつかざるを得ない。南北の分断と戦争の悲劇は、日本人だからこそしっかりと考えねばならない問題であるはずだ。
 また日本が南北分断と戦争の悲劇の原因の一端を担ってしまった一方で、朝鮮戦争そのものも戦後の日本に大きな影響を与えた。
 例えば政治・社会情勢の面でいうと、朝鮮戦争勃発直後より、官民関係なく労働組合幹部などの職場追放、いわゆるレッド・パージが吹き荒れた。そしてレッド・パージと入れ違いで、これまで公職を追放されていた旧軍人や旧大政翼賛会幹部などの追放解除がはじまり、「逆コース」といわれる言葉が流行した。朝鮮戦争に象徴される東西冷戦の激化、米国の反共政策の高まりは日本に大きな影響を及ぼし、現代に至るまでの戦後社会の基礎が築かれていった。
 また、この頃には、白鳥事件や菅生事件など、共産党弾圧のためのでっち上げの政治弾圧事件が多発している。今なお存在する共産党アレルギーの原因の一つが、朝鮮戦争をめぐって醸成、形成されていったのである。
 朝鮮戦争によって現在の自衛隊の原型である警察予備隊が発足したのは有名な話であるが、同時に在日米軍も朝鮮戦争によって拡大、機能強化されていき、在日米軍基地をかかえる地域では熾烈な反対闘争が発生していった。例えば陸軍砲兵隊の射撃場であった石川県内灘は、朝鮮戦争がはじまると警察予備隊の演習地となり、さらに政府が同地を米軍演習場として推薦したことにより、地域住民を主体に猛烈な反対運動が展開される。
 こうした反対運動などにより本土での地位を不安定にした米軍基地が沖縄に移転していったともいわれており、現在の沖縄基地問題もその遠因の一つに朝鮮戦争が存在する。
 また北朝鮮系の在日朝鮮人による反米軍基地闘争が各地で戦われたり、米兵による脱走事件や暴動事件が発生するなど、朝鮮戦争は日本の政治・社会に不穏な情勢をもたらした。

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朝鮮戦争で破壊された国連軍の戦車 1951年6月1日、AP(朝日新聞2018年6月11日)

朝鮮戦争への日本の「参戦」

 このように朝鮮戦争と日本の密接な関わりはいくらでも挙げられるが、それ以外にも近年、朝鮮戦争への日本の「参戦」について光があてられている。
 朝鮮戦争勃発とともに海上保安庁の特別掃海隊が結成され、朝鮮半島の元山などで国連軍側(米軍側)として機雷除去作業、掃海作業をおこなったことはあまりにも有名であるが、それ以外にも日本人船員が日本商船あるいは米軍から貸与された揚陸艦などを操舵し、兵員や物資を日本から朝鮮半島へ輸送したという海上輸送作業が展開されていた。これについてはNHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」で取り上げられるなどしている。

NHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」(NHK2019年2月3日放映)

 また毎日新聞の取材、調査により、在日米軍基地従業員をはじめとした複数の日本人民間人(少年なども含む)が米兵に帯同するかたちで朝鮮半島に渡り、そのうちの少なくない者が武器を渡され、戦闘で使用したことが明るみとなった。

「埋もれた記憶・朝鮮戦争70年 朝鮮戦争 日本の民間人・少年も戦闘参加 勃発70年、米軍極秘文書で明らかに」(毎日新聞2020年6月21日)

 こうした軍事的な「参戦」以外にも、医療の面での「参戦」もおこなわれた。例えば日本赤十字は韓国赤十字へ医薬品を提供したり、国連軍傷病兵や韓国難民救済のための募金を呼びかけたり、献血を実施するなどした。この程度では「参戦」とはいえないといわれるかもしれないが、日赤の看護師たちは日本に設置された国連軍野戦病院に動員され、いわば「従軍看護婦」として国連軍傷病兵の看護をしたといわれる。
 経済面ではどうだろうか。朝鮮戦争は日本経済に非常に好影響を与えた。前線の朝鮮半島に対する後方基地となった日本では、米軍の軍需品をはじめ様々な物品の製造やサービスの提供の依頼が舞い込み、戦後復興の発端となっていく。いわゆる「朝鮮特需」だ。
 例えば朝鮮戦争がはじまった昭和25年(1950)、軍需品関係で総額1182億円の契約高があった。この頃、政府の一般会計予算が約6000億円の時代である。まさしく「特需」であった。
 特需は一部大企業だけに恩恵をもたらしたのではなく、地方の町工場でも活発な生産活動がおこなわれた。例えば長野市内の町工場では、朝鮮戦争に使用された親子爆弾が製造され、つい最近まで保管されていたといわれるが、いわば経済面でも大都市から地方都市に至るまで、日本全体が朝鮮戦争にどっぷりと「参戦」していたのである。

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トヨタが米軍から受注したBMV型カーゴ・トラック(トヨタ自動車75年史より)

「義勇軍」構想と神道青年全国協議会

 朝鮮戦争の勃発により警察予備隊が発足したと冒頭記したが、その前段階として、米国政界の一部で日本人義勇軍の創設と朝鮮半島派遣の構想が持ち上がり、そのことが日本にまで伝わった。
 こうした動きに反応し、明確に「拒否」「反対」の意思を表明したのが神道青年全国協議会(神青協)である。神青協書記局は米上院議員ホーマー・E・ケープハートに以下の書簡を送っている。

 われわれの信仰、思想は共産主義に対しては、徹底的に反対である。われわれは宗教的思想の強化に努めてゐる。
 だがわれわれは、平和主義者として、われわれの思想と信仰とを他国の人々に強制しようとは思はない。少くとも現在の日本人は、他国の事に干渉すべきではない。われわれは、如何なる場合に於ても、武器を携へて外国の領土に進出しようとは決して思はない。これは一九四五年いらい、われわれが決心したところの固い思想であり、日本青年の圧倒的大多数の共通する思想である。この故に日本人を義勇兵に募って、アジア大陸(朝鮮半島)の戦線に於て戦はしめんとする貴下の案は、決して成功しないであらうと思はれる。
 われわれは、貴下が義勇兵の計画に関して、日本青年の反響を熱心に知りたいと思ってをられるとのワシントンよりの新聞電報を読み、こゝに参考のためにわれ等の所信をお知らせする。

(『神青協二十年史』)

 義勇軍構想を拒否、反対したのは、神青協だけではない。昭和25年7月31日付「神社新報」社説は「平和反共の大道」と題し、次のように論じている。

 われわれは、神道青年協議会の書記局が現下の騒然たる時流の中にあつて、義勇軍問題に関して、その平和的所信を表明せることに深く同感の意を表するものである。
  [略]
 日本人が惨たる大戦に敗れてからわづかに五年、その傷は深く、その疲れは甚しい。この傷つき疲れたる国民に何よりも貴重なものは平和である。わが神神の御こころは、この疲れ傷つきたる民に平和を望み給ふのであり、われ等神道人の任務は、この民のために平和を守るべく懸命の力を致すにあると信ずる。
  [略]
 現下の日本人にとつて、最も必要なのは、侵略者に対抗するための軍備を急ぐことでもなければ、武器を携へて海外の義勇軍に身を投ずることでもない。
 百万の侵略軍の威圧下にあつても、心臆せず、毅然としてわが信仰を守り通し得るだけの精神的威力を養ふことである。この精神的威力こそが、平和にして然も赤化の暴力に対抗し得る日本人の第一の武器とならねばならぬ。

(昭和25年7月31日付「神社新報」社説「平和反共の大道 」)

 神社新報は実質的に神社本庁の機関紙であるが、神社界全体を代表するメディアでもある。戦争の傷いまだ癒えぬこの頃、神青協に限らず当時の神社界全体が率直に平和を望み、平和を守る努力をみずからの任務と考えたといえる。そして再軍備や義勇軍など必要ではなく、「侵略軍を恐れず信仰を守り抜く精神的威力」こそ日本人の武器とするべきだと訴えた。まことに高貴、高潔な思想であり信仰といわねばならない(無論、こうした方針に疑問や反対の声が一部にあったことも事実である)。
 神社新報で連載されていたコラム「時局展望」も、たびたび義勇軍問題について批判的に取り上げているが、その時局展望の執筆者こそは、戦後神道界を代表する思想家、言論人の葦津珍彦だ。葦津とケープハート上院議員に書簡を送った神青協書記長渋川謙一は盟友関係にあるが、葦津と渋川ら青年神道家が気脈を通じ、共に反対の論陣を張り、行動したものと思われる。
 結局、義勇軍構想は立ち消えとなるが、それは警察予備隊、海上警備隊の発足により日本の再軍備・再武装として新たな問題の局面に突入していく。
 神青協は渋川を中心に再軍備に反対し、「反共非武装」の旗を掲げ、渋谷駅頭などで街頭演説をおこなうなど反対運動を展開した。一方で再軍備反対は政府の方針にも占領軍の方針にも反逆するものであり、官憲から相当の干渉を受けたという当時の神青協メンバーの証言も残っている。

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朝鮮戦争勃発直後に警察予備隊令が公布され、発足した警察予備隊(共同新聞2019年8月10日)

葦津珍彦の日本再軍備批判

 葦津もまた神青協の再軍備反対論と軌を一にして再軍備反対、あるいは再軍備への疑問の声をあげている。特に葦津は、再軍備において設置される軍隊の「建軍の本義」について厳しく問うている。
 例えば葦津は、

 建軍の精神はあくまでも追及され明確にされねばならない。不純不正の精神によつて建てられた軍は國民に対して深い禍を残す。それは無きに如かざるものである。神道人としての私は、少くとも政治家の主張する「再軍備論」の軍がいかなる権威を以て、日本人に対して「汝の生命を捧げよ」と命じ得るかを疑ふ。

(「再武装論批判─特に建軍の精神について─」)

と述べ、「軍人勅諭」を紹介し、皇軍の「建軍の本義」を示すなかで、そのような精神的権威もなく兵士に死を強いるような軍は、不義をなすとする。
 また「建軍の本義」は国家性と具体的に結びつくものであり、「自由と民主」のために戦うという当時の再軍備・再武装論では、「自由と民主」のために外国の政治に介入したり、時々の政治家に都合よく使われてしまうとする。
 葦津はいう、

 今日の再軍備論者は「自由と民主」のために戰ふ事が建軍の目的精神であると云ふ。だが、それは今の日本人にとつては余りにも曖昧なものである。[略]「自由と民主」とが無條件的な至上命令とされるとき、その軍隊は「自由と民主」の名に於て外國に対しても干渉するに至る可能性がないか。[略]建軍の精神と云ふものはアメリカとかイギリスとか云ふ國家性と具体的に結びついたものでなくてはならない。たゞ「自由民主」などと云ふ超國家的世界的一般抽象的なスローガンだけでは、その解釈は何とでもなる。[略]このやうな曖昧な建軍精神は、その時々の政治家の野望によつてどんなにでも利用される危險性がある。

(「再武装論批判─特に建軍の精神について─」)

と。 
 この葦津の指摘は、安保関連法などにおいて米軍と一体化し、米軍の補完勢力として世界中で米軍の戦争についていこうとしている自衛隊の現状を考えればわかりやすいだろう。「自由と民主」の価値観は尊く、それを否定するものではないが、自衛隊に独自の建軍の精神がなく「自由と民主」を建軍の精神とするがゆえに、「自由と民主」の名の下で作戦行動を展開する米軍にどこまでもついていこうとしているのが日本の防衛政策であり、自衛隊である。
 一方で自衛隊と米軍の一体化やそこにおける自衛隊の軍備増強を、あたかも「日本軍」の増強、そして日本そのものの「強さ」と勘違いする向きもあるが、葦津は早くもそのことについて指摘している。

[略]政界の再軍備論は大衆の一部に残る素朴な愛國精神(皇軍赫々たりし時代へのノスタルヂイ)と奇妙な混線をしながら発展して行く。政界の再軍備論者は、非皇軍的な民主軍を目標にしながら然も大衆の皇軍意識を利用しようとしてゐる。素朴な愛國者は、新しい再軍備論と自分の古いノスタルヂイとの本質的な区別ができないでゐる。この同床異夢の奇妙な混同から何が生まれて来るか。おそらくは民主軍でもなく皇軍でもなく、無精神無性格な烏合の衆が生まれる[略]

(「再武装論批判─特に建軍の精神について─」)

 安倍政権はF35戦闘機など米国製兵器を「爆買い」とまでいわれるほどの大量購入をし、建軍の本義なき米国の補完勢力としての自衛隊を増強している。人々はそうして増強された自衛隊に「皇軍赫々たりし時代へのノスタルヂイ」を見ているが、その内実は「烏合の衆」なのであり、「烏合の衆」はいつか必ず不義をなすだろう。いや、もうすでに不義をなしているかもしれない。
 朝鮮戦争70年。朝鮮戦争と日本の深い関係をあらためて学び、朝鮮半島の平和に大きな関心を寄せるべきだが、そうしたなかで葦津や当時の青年神道家の義勇軍構想反対・再軍備反対の事跡もまた大いに振り返られるべきであろう。

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南北の休戦ラインである軍事境界線(いわゆる38度線)一帯の非武装地帯をパトロールする韓国軍、PANA(時事ドットコムニュース:北緯38度線 写真特集)

トップ画像は、板門店の共同警備区域の韓国側で配置に就く韓国軍兵士、AFP(時事ドットコムニュース:北緯38度線 写真特集)



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