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「あざとい」とか「ぶりっ子」とか

めちゃくちゃ苦手だ。
苦手っていうか言葉を選ばずに言うと嫌いだ。
ナチュラルにそういう素振りをしてしまう人もいるんだろうけど、嫌いなものは嫌いなのだ。申し訳ないが自分の感情に嘘なんて吐けない。

何故そんな感情を持ってしまうのかを自分なりに考えてみたんだが、大きく分けて二つの理由に絞れるという結論に至った。

まず一つ目。まぁこれは考えずとも自分で理解していたことではあるし、前にこういう記事を書いた通り、私が万年拗らせボーイであるということでしかない。
「自分の事が好きなのかもしれない」というクソみてぇな勘違いから生まれた完全に自業自得な出来事を経験したが故に、「なんで好きでもない男にそんな振る舞いが出来るねん」とか「好きでもない男によくそんな言動が出来るな、舐めやがってよぉ」と思ってしまうようになってしまった。みみっちい人間だと自分でも思っているよ。非常に。

そしてもう一つは”腹の底が見えなさすぎる”という怖さがあるという事。
例えば、クローズドクエスチョン(「はい」か「いいえ」だけで答えられる質問)を誰かに行なったとして、相手が「分からないです」と答えるのと「わかんないですぅ〜〜〜😭💦😭💦😭💦」と答えるのとでは後者の方がだいぶ「分からなさ」が判断しにくい気がする。
(悪意のある書き方と思われるかもしれない。でもテキストに起こしたら本当にこんな感じだと思うんだ。勘弁してくれ。)

前者の場合であれば相手が何故分からないのか、どうしたら「はい」か「いいえ」で答えられるのか等をシンプルに考えることが出来る。
だが後者の場合だと、こちらとしては質問の回答を得たいだけなのに「その言い方は何……?」とか「なんで質問しただけなのにオーバーリアクション?」とか、余計なことを考えざるを得ないノイズが乗っかってしまう。

まずそのノイズを解消するために脳内でリソースや時間を要してしまうんだよな。
そういう言動に突っ込んでいいのか、スルーして質問のことだけに集中すればいいのかも考えてしまうし。

極めて個人的な感覚でしかないんだが、どうしても「あざとい」とか「ぶりっ子」とかの鎧を装着してるんとしか思えない。
拗らせ的観点からしても、腹の底が見えないみたいな観点からしても、「素っぽくない」感じが敬遠してしまう要因なんだろうな。

当然、殆どの人が殆どの人に対して「素ではない自分」を演じているんだとは思っている。家族や友人、恋人にしか見せない自分とは別の自分を用意して社会で生きている筈なんだろうけど、表題のそれはパーソナリティを覆い隠し過ぎな気がして身構えてしまう。別にこちとら根掘り葉掘り探ろうという気持ちはない。単純に質問に答えて欲しいだけだ。
素を見せろとか野暮なことを言うつもりはないが、せめてコミュニケーションをとろうとしている相手の意図ぐらいは汲んで欲しいなと思うばかりだ。

「だからモテないんだよお前は」と偶に知人から言われることがあるが、これだけは声を大にして言いたい。

誰かに忖度して得られる情なんて要らんねん。


おわり。


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