見出し画像

完璧超人に対する畏怖、その正体は

「完璧な人」など存在しない。
それは理解しているつもりなんだが、生きているとどうしても「完璧超人だ……」と思わざるを得ない人に遭遇する。
リアルで知り合う人もそうなんだが、分かり易いのは芸能人やアーティスト、スポーツ選手等だろうか。

例えば、米津玄師。
もう全部のコンテンツの楽曲を歌っている気がするし、タイアップ元に対する解像度も高く、そのクオリティたるや毎度凄まじいものを提供してくる。
おまけに音楽的な技能に限らずイラストの技術も相当持っている。

「逆に何が出来ないの?」と思ってしまうような"完璧さ"を感じてしまうと、何故だがとても怖くなってしまう。

この感覚は「なんであいつは……」みたいな嫉妬でもないし、「調子乗るなよ」みたいな傲慢さでもない。ただただ、「出来すぎてしまう人間が存在している」という事に対する畏怖、としか言いようがない。

別にそれはクリエイティブな技能に限ったことではなくて、モデルを生業としている方のような「超絶に整った容姿・スタイル」であったり、見返りを一切求めず他者に手を差し伸べる聖人君子のような人の「寛容さ」なども含まれる。

もちろん歌手もモデルも聖人君子も、「ある特定のパラメータ」が特出しているだけであり、本人からしたら苦手なものも当然あるんだとは思う。そういう意味で本当の「完璧超人」は存在しないとは思うんだが、その「ある特定のパラメータ」が輝き過ぎていると「その他のパラメータ」が曇って見えるんだよな。

当然その人達も「そこに至るまでに乗り越えてきた苦難や行い続けてきた努力」があると思うので、根っからカンストのステータスで生まれてきた訳ではないだろうし、そこを度外視するのは失礼にも程があると重々理解している。

人間という動物は野生で生きるには非力過ぎるが余りにこの世で一番デカい社会を形成出来た筈なので、それは「一人一人の欠点が補われているからこそ成立している」とも言い換えられるんじゃないかと個人的には思っている。

フィジカルに長けた者もいればロジカルに長けた者もいて、その中でも「筋力」「持久力」「コミュニケーション」「計算」がそれぞれ得意だったりと細かく分けたら際限ないのだが、そういった個々の集まりが手を取り合えたから今の文化や文明が存在しているのだろう。

私は「人は一人じゃ足りない」という感覚があるから"多くの何かを持っている人"を見ると「人間味」を感じられなくて怖くなってしまうのかもしれないな。どこか苦手な行為があったり不器用な一面が垣間見る事が出来たら、私が感じている畏怖は親近感に変わる気がする。

まぁ一方的に自分が神格化して「完璧超人」だの思っているけども、米津玄師も大谷翔平も新垣結衣も絶対苦手な物事はあるだろうし、私がそれを知らないだけなんだろう。
なのでこの感覚は「劣等感の裏返し」でもあるのかもしれないな。

だからお願いだ。
「運動は得意だけど走り幅跳びだけは苦手」とか「肉詰めにしたら食べられるけどピーマン単体は無理」とか、そんなレベルでいいから不得意な何かを持っていてくれ。頼む。

それを知った途端、親近感が湧いて私の頬が緩むから。

おわり。


noteに書くテーマを募集しています。よろしければお送り頂けると幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!