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いつもと違う、クリスマス。

『美玖、お疲れー!』

『約束通り、定時で帰れるよ!』


「わかった!ご飯用意して待ってるね」



残業が当たり前の彼が、

クリスマスという特別な日に、定時で帰ってくる。




これは、いつもと違うクリスマスになるかも。



私は、いつにも増して上機嫌で、

晩ご飯の用意を始めた。




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『ってことで、後はよろしく』



"はいはい…"



他人が残業をしていく横で、

堂々と定時で帰っていく僕の同期。



『そんな嫌な顔すんなって』


『それだったら普段、さりげなーく俺に残タスク押し付けて帰らなきゃいいのに』




そう、彼の言う通り。




普段の生活リズムを崩したくないから、と

彼にしれっと仕事を押し付けて帰っている

その代償を、

毎年クリスマスの時期が近づくと払わされていた。



とはいえ、被害者である彼も

それとは別件で、クリスマスの時期には残業させられていたから

ある意味、おあいこのような形にはなっていたのだが。



今年はその別件もないらしく、

彼だけが、定時で帰宅することになった。



"いつもクリスマスはちゃんと帰れてないんだから、たまには美玖さんの言うことを聞いてあげなよ"



『そりゃもちろん!』


『ちゃーんと、プレゼントも用意したし』


と、左手に提げた綺麗な紙袋を見せつける。



『お前もせめて最低限にして、菜緒さんが寝る前くらいには帰ってやれよ』



"流石にそこまで残りたくないわ"



『はは!確かにな!』と


高らかに笑って


『お先に失礼しまーす』



そう言って、嵐のように去っていった。





"…よし"


仕事にケリを付けて、パソコンの電源を落とす。



時間は…


いつもより、ちょっと遅いぐらいか。



まぁ、今日ぐらいは許してもらおう。と


テーブルの脇に置いておいた、小さな黒い紙袋に目をやる。




この前、菜緒とショッピングに行った時、

いつもより見る時間が長かった、あるコスメ。


それが頭の片隅に残っていて、

真っ先にそれを選ぼうと思った。




喜んでくれるといいな。



僕は菜緒に連絡することも忘れて、帰路を急いだ。




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『寒っ…』


会社の玄関を出ると、冷たい風が吹き付ける。



冷たさから逃れるようにして、

俺は自分の車に向かい、エンジンを掛ける。



『ふぅー…渋滞は、っと』



エアコンで車内を温めながら

スマホで自宅までの道路情報を調べる。



幸い、まだそこまで混雑はしていないらしい。



混む前に、さっさと美玖の待つ家へ帰ろう。



俺はいつも通り、アクセルを踏んだ。



都会のカオスな信号待ちをくぐり抜け、

渋滞とも言い切れない、時速10km台のゆるゆる運転で

大きな片側3車線の国道を通りながら、都県境をまたぐ。



しばらくしてから国道と別れ、見慣れた町の風景が見える。




家まであと10分くらいといったところ。


ここを左に曲がれば、もうすぐ。


『今日のご飯、何かなー』



左折のウインカーを出して、

赤信号が変わるのを待ちながら、

これから起こる楽しみを、考える。



その時、




人生で一度も経験したことの無い衝撃が、

全身を走り抜けた。




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「さて、作りますか!」


今日は、いつもと違う特別な日だから、

いつもより気合を入れて。



まずは、デミグラスソースから。


コンソメの塊をみじん切りにして、

ケチャップをベースに、ソース、しょうゆ、砂糖を入れる。


一から作るとは言っても流石に、

玉ねぎや小麦粉を炒っているほどの時間は無いので、

手作りカレー用に売られている玉ねぎペーストを混ぜて加熱して時間短縮。


ひと煮立ちさせてとろみが出てきたら、しばらく放置すれば、

特製デミグラスの出来上がり。


ここからは、本命の調理だ。


スーパーの中でもひときわ存在感を放っていた、

黒いトレイの中に鎮座する、1枚肉の牛ロースを丁寧にカットして、

下味をつける。


野菜を一口大にカットしたら、


バターを鍋に入れて溶かし、ロースに焼き目を付ける。

玉ねぎとニンジンを入れたら、


2人で飲む分だけを取り除いておいた、赤ワインと水を加え

アクをとりつつ、じっくりと煮込む。



気づいたら、とっくに帰ってくる時間を過ぎていて、

普段通りの時間になっていた。


でも、定時には出たはずだよね…


少し待ってみたけど、渋滞に巻き込まれているのか

LINEも電話も応答はない。



まぁ、渋滞ならしょうがないか。


じゃがいもとケチャップ、特製デミグラスを入れて

煮崩れしないよう、

ゆっくり時間をかけて、慎重にかき混ぜる。




もうすぐビーフシチューも完成に近づく頃。



「もう…遅いなぁ…」


弱火でぐるぐるかき回すのも、そろそろ限界だ。





そんな時だった。



私のスマホに、見慣れない番号からの電話がかかってきた。




「はい…もしもし」


『金村美玖さんのお電話でしょうか?』


「はい。」


『私、埼玉県警…』




それは、


彼の車が十字路の交差点で信号待ちをしていたところに、

大型トラックがノーブレーキで追突し、

弾みで彼の車が飛ばされ、電柱に激突。



車は電柱を囲うようにして折れ曲がり、

挟まれてしまった彼。



現場でレスキュー隊員の人たちが

懸命の救助活動をしてくれたが…



という電話だった。





彼とは、自宅ではなく、

病院の地下で会うことになった。



ベッドの上で眠る彼。



これだけの事故にもかかわらず、

彼の顔が傷ついていなかったのが、不幸中の幸いだったのだろうか。




この事故さえなければ。


いつもの時間に帰っていれば。


そんなことばかりが、頭の中を巡る。




その時、私は気づいた。


日常に<いつも>なんて、ないんだ。


<いつも>だと思っているのは、違うことなんだ。




もし今

<いつも>と<いつもと違う日>を選べ、と言われたら


<いつもと違う日>よりも


<いつも>の方を、間違いなく選ぶだろう。



でも、そうだとしたら、

さっきまでの私たちが、<いつもと違う日>を選んだから、

こんなことになったのですか。


だとしたら、

あまりにも残酷過ぎませんか。




今更そう思っても、

彼はもう、帰ってこない。





私は、抜け殻になった彼の前で、

感情を露わにすることしか、出来なかった。



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あとがき


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