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【応援団】「黒子」論[4]

応援団は「黒子」であれ。

私が現役応援団時代に教わった教訓である。

「黒子」とは「くろこ」。
歌舞伎や人形浄瑠璃などで、黒色の幕をかぶって人形を動かしたり、幕を捲ったりする人のことだ。

なぜ応援団は黒子であれと言われるのか。
それは、
応援団は人を応援する団体であり、
あくまでも主役は応援される側である。
主役の勝利のために、ひたすら自己犠牲し、縁の下の力持ちを徹する。
この論理があるから
だ。

私はこの論理が大好きだ。
決して自分から目立とうとせず自己犠牲に徹する姿勢はなんとも言えないカッコ良さがあると思う。
そんな人間でありたい、と考えていた。

だから私はSNSを使わなかった。
この時代、SNSで自分を思い通りに表現できる時代である。
応援団は私のアイデンティティであり、私を一言で表現するには絶好の材料だった。
しかし私はあくまでも黒子。
黒子は自分を表現すべきではない。
あえて自分の活躍を表現せず、周りにカッコいい姿に気づいてもらおうと考えていた。
だから自分の応援団の姿をTwitterやInstagram、
LINEのトプ画でさえも表現することはなかった。

しかしそんな考え方は必ずしも「正しい」訳ではないことを知った。

「黒子」のままでは自分の魅力に誰も気づいてくれない。

新型コロナウイルスの蔓延である。

大学の対面授業や部活動は全て中止、
その中で特に痛かったのが、「新歓」である。
我々は今まで応援する姿を、直接見せることによって魅力を発信してきた。
その機会が失われ、応援団の魅力を発信する機会を失ってしまったのだ。

このような状況になった時、我々の応援団の魅力を表現する方法はSNSしかなくなっていた。

応援団の姿をSNSで表現することは一種のタブーだと考えていた私はここで気がついた。

「黒子」に徹するままでは、誰も魅力に気付いてくれない、

と。

「黒子」と「主役」の線を引く

この教訓から、
私は「黒子」と「主役」の線引きをずっとどこに置くべきか考えている。

応援団をやっていたことを表に出して生きていきたい。なぜなら、応援団をやっていたと言う過去は、
私の強烈なアイデンティティであり、誇りだからである。

今の時代、SNSは名刺代わりである。
SNSで自分を表現することが、周りの人へと「自分とはこういう人間だ」と表現することになる。
自分から表現しないと、周りの人が自分の魅力を知ってくれないことはもったいないことだ。

水鳥の理論

一方で、自分の努力をひけらかすことはやはり美しくない。

水鳥を知っているだろうか。
水面を進む水鳥の姿は優雅だが、人には見えない水面下では必死に足ヒレを動かしている、というものだ。
自分の泥臭い努力をひけらかし、
「こんなに頑張ってる自分凄くね!?」
と表現する方法は美しくない。
その面は「黒子」に徹するべきである。

私の考えたラインはここである。

今でも正直、応援団のことを表現するのは気が引けるし迷ってしまう。
「応援団はSNSで表現しちゃダメ」アレルギー的な感じだろうか。

しかし
自分の過去を誇りとし、
自分に自信を持って生きていくためにも、
勇気を持って表現しようと決めたことは「正解」だと思う。
自分の姿をひけらかそう。
自分の魅力を見せる勇気を持とう。
(ただし、汚い部分以外をね!)

いまの時代、自分からアピールしなくちゃ!

福いいネ!
「いまの時代、自分からアピールしなくちゃ!」

写真はふるさと福井で見つけた広告である。
これにも背中を押された。

いまの時代、自分からアピールしなくちゃ!

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