@shozoお酒について#2
人間と酒の歴史は深く長く、その人間が作る創作物にも当然酒は出てくる訳でありまして。映画、落語、小説・・、酒の居場所は枚挙にいとまがない。しかしアタクシが最初に出会った、人と酒との葛藤が描かれた創作物は実体験を元にした小説、中島らも「今夜、すべてのバーで」(1991年)である。当時、アル中を描いた創作物は少なく、強いて例をあげるなら「アル中地獄クライシス」であると中島らも自身が指摘していたその本も読んだ、それはしかしまた別の話で。
相撲に番付、空手剣道柔道に段があるようにアル中にも番付、段のようなもの設けるとアタクシの酒飲みレベルは、ちゃんこ番のさらにその助手程度である。しかしながら真っ当なアル中に対してまだマトモであるとか、別の酒道を歩んでいるなどと優位性を訴える気は毛頭ない。蛇の道は蛇である。
町田康「しらふで生きる」(幻冬社)はアタクシだけが何年も前から刊行を知っていた様な幻想に囚われた。それはつまり時代が求めていた本であると偉そうに言える。さすが「愛と幻想のファシズム」村上龍のダチ公、見城徹氏の会社である。町田康、自らの体を踏み台にして時代に則した本を出版したのである。読んでない。
読んでないが、半分は、だいたいどうゆう事が書いてあるか分かる。なぜならアタクシは六日間酒を飲んでないからである。四年間も飲まない体験はわずか六日間でも体験できる(当然主観である)、さて六日ぶりのビールの味はどの様な味がするか・・。それはまた別の話(はよ飲め)。
↑の写真は「ミッドサマー」を観に行った時のコレド室町近くの日本橋の桜と鳥。