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ようやく辿り着いた答え。結果とプロセスどちらが大切なのか。

2018年12月24日。クリスマスイブの日。この日は大学の体育会サッカー部の4送会だった。小雨が降るグラウンドで学年対抗の試合が行われ、その後室内で現役部員からの挨拶と、4年生一人ひとりの挨拶の場が設けられた。

挨拶の順番が僕に回ってきた。僕は自信に満ち溢れた気持ちと充実感のある笑顔で挨拶を終えた。

僕のバックグラウンドには、前回の記事で書いたようなサッカー部での4年間があった。僕がなぜ大学サッカー生活を振り返った時に充実感を覚えるのかというと、結果を出したからだと思う。それも決してエリートではない僕が、レベルの高い環境で1番下からスタートし、最後は1番上まで昇り詰める事ができた。大学サッカー生活44ヶ月のうち43ヶ月は下積み生活だった。最後の1ヶ月で、いやもっと詳しくいうと最後の3週間でチャンスがようやく回ってきた。そしてそのチャンスを掴む事ができた。もちろん様々な要素が絡んでいたり、巡り合わせはあった。それでもトップの公式戦に出るという結果を残したのは事実だ。
やはり結果を出すと他人から評価される。43ヶ月の下積み時代からずっと寄り添ってくれた同輩や後輩も、僕がトップチームの公式戦に出る事を自分のことのように嬉しく思ってくれていた。43ヶ月の下積み時代に僕に何も期待してなかった人も、最後には認めてくれた感じがした。

大学サッカー部最終節終了から20日ほど経った日には、渋谷で元ドイツ代表W杯優勝メンバー選手の通訳を務めた。ボルシア・ドルトムントのレジェンドツアーという名目でロマン・ヴァイデンフェラーが来日し、ファンイベントが開催された。僕はそのファンイベントでのドイツ語通訳を務めた。僕がその様子をインスタに挙げたら、それまでで1番多くの反応があった。(笑)
サッカー部のチームメイト、大学の友達、懐かしい友人などたくさんの人がコメントやお祝いの言葉をくれた。そしてそれまで僕の事を毛嫌いしてた人もこの時に限っては手のひら返したようなコメントをくれた。
「しょーよーならやっぱり出来ると思ってたよ。」
こいつどんだけ調子良いんだよって正直思った。(笑)
今でこそ物事を多面的に客観的に見れるようになり、さほどすごい事ではなかったんだなって思えるけど、当時の僕からしたらめちゃくちゃ凄いことだったし、自慢したくなるような出来事だった。
この通訳の話には後日談が二つある。ひとつは、インスタに挙げた写真にヴァイデンフェラー本人がイイねを付けてくれた事。鳥肌が立った瞬間だった。もうひとつは、僕がドイツに渡って2ヶ月ほど経ったある日の出来事。FCケルン女子の試合をその選手の代理人や日本からの関係者と一緒に観に行ってた時の事だ。会場にたまたま元ドルトムント関係者がいたのだ。元キーパーコーチだったかアカデミーコーチだったか役職は忘れてしまったが、なんと彼が僕の事を知っていると言い出したのだ。僕が通訳を務めたイベントはドルトムントの公式サイトにも掲載されていたので、そこでヴァイデンフェラーの隣に立つ僕の姿を見たのか、もしくは他の手段で見たのだろう。彼が僕の事を知っていると言った時にはめちゃくちゃ嬉しかった事を今でも鮮明に覚えている。

話は逸れたけど、そんな経験をしていた僕は結果にこだわるようになっていた。さらに以前の記事でも書いたとおり、ヨーロッパ最難関の大学入学試験でも合格という結果を得ていたので、尚更結果にこだわっていた。

「頑張っているのはみんな一緒。けど全員が結果を出せるわけじゃない。だからこそ結果を出すことには大きな価値がある。」

ここまではよく言われることである。一般論として存在する。しかしいつしか僕はこの一般論に次のような言葉を付け加えるようになってしまっていた。

結果が全てだ。結果を出さないと意味がない。

僕が大学サッカーを振り返ったりアドバイスをする時には、ある種の説得力もあると思う。なぜなら結果として国体やスタメンまで辿り着いたからだ。
僕が語学学習で質問された時やアドバイスをする時にも説得力があると思う。なぜなら大学在学中にW杯優勝選手の通訳を務めたり、大学卒業時にはドイツの大学入学レベルのドイツ語力に達していたから。
さらにドイツに来てからは、長年の夢であり大学時代から目指していたプロサッカーチームでの通訳という舞台に、インターンではあるが辿り着いた。さらにドイツ国営メディアのオリンピックでの通訳の採用も頂けた。
極め付けは今年2月に起こった出来事だ。ドイツで電車に乗ってた時に、日本人の大学生っぽい年代の2人が同じ車両に乗っていた。サッカー観戦後ということもあり、彼らはサッカーの話で盛り上がっていた。するとそのうち1人が「この人知ってる?」ってもう1人にケータイの画面を見せた。するとその彼も「知ってる知ってる!」って反応した。どっかの俳優だか有名人の話をしてるんだろうなって思い、離れたところで話を聞いていると、なんだかその2人が話している内容が全て僕の事だった。ドイツの電車で僕の知らない人たちが僕の名前まで出してきて、2人で僕の話で盛り上がっている。何が起こっているのか分からなかったけど嬉しかったから僕は話しかけた。
「すみません。それ僕の事ですか?」
彼らは目を点にして驚いていた。彼らも何が起きているかわかっていなかった。(笑)
聞いたところ、彼らは僕の日本の大学の後輩である事が分かった。けど面識も繋がりもなかったので僕は彼らが誰だか分かっていなかった。けどそんな人たちが僕の良い話で盛り上がってくれていたのは本当に嬉しかった。
これも今までの頑張りをしっかり結果で示してきたからなんだろうって思った。
こういう留学生活の中で、結果が全てであるという僕の概念は強固になっていった。
疑う余地すらなかった。

語弊が生じないように言っておくが、僕はプロサッカー選手になったわけでもなければ、超一流企業の社内通訳になったわけでもない。ハーバード大学の学生でもない。
僕がここで言う結果というのは、あくまで僕の戦うフィールド上の話だ。けどその戦うフィールドが決して低いレベルだとは思っていないので、”結果”としての価値を感じている。
そして”結果”に辿り着くまでのプロセスで多くの方々の応援や支えがあったのは言うまでもない。

しかし、ここ1〜2ヶ月ほどで状況が一変した。正確にいうと僕の考えが180度変わった。それは僕が今、ここから書いていくような状況にいるからである。

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