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型稽古の重要性

先日、剣術の達人として知られる黒田鉄山先生がご逝去された。私は合気道家だが、先生の書籍からたくさんの示唆を頂いた。
複数の書籍があるが、私が拝読したのは「気剣体一致の武術的身体を創る―ふたつとない姿態創造への道標」である。

この本では、剣術の型を通じて、武術的な体、姿勢を作っていくという考え方が示されている。つまり型稽古の重要性と意義を実体験に基づいて示していると言える。先生の継承される流派では、剣術、居合、柔術を併修するが、剣術、居合の型稽古が柔術に、柔術が剣に生きるという関係性とあるという。
稀代の名人が型稽古を通じてその技を磨き、心身を作り上げたという事実は非常に示唆的である。

現代においては型稽古よりも試合•乱取稽古を重視する風潮がある。型と試合は稽古法としてどちらがより優れているなどという関係性にはなく、それぞれによって身につけるスキル、能力が異なる。型稽古と試合の関係性をわかりやすく、論理的に示した本としては、南郷継正氏の「武道の理論」があげられる。


南郷氏は空手家だが、柔道等を例に挙げて型稽古と試合•乱取り稽古の使い分けの必要性を説く。
端的にまとめると、武術を真に身につけるためにはまずは型稽古を通じて、武術的な技(武技)と体を体に染み込ませる。その上で、身につけた武技を実践する稽古として試合•乱取稽古をすべきという考えである。武技が身につかないまま、試合•乱取稽古をすると、我流かつ強引な力を使って勝利を実現しようとしてしまう。その状態は先人が築いてきた武術を身につけるということからはかけ離れているのではないかという指摘である。そのため、この本では、初心者のうちは試合等をせず、ひたすら型稽古に打ち込み、体と技を練り上げまることが勧められている。(※私の要約であるため、多分に解釈が含まれる点に注意頂きたい)

合気道には試合がなく、型稽古のみで稽古をするが、黒田氏と南郷氏の本の示唆を踏まえると、今の合気道の形式にも一定の合理性があると言える。先人の残した技を型を通じて学び、自身の体と心を練り上げていくことが、現代の我々にとっての稽古と言えるのではないだろうか。他者と比べた試合の勝ち負けでなく、自分自身がどう成長できるかという視点で武道の意義を捉える考え方があっても良いと思う。

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