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「自分のことばを持つということ」
写真の器に描かれている花は、私がよくモチーフにしている「繁栄の花」。
繁栄は衰退の始まりで、衰退も繁栄の始まり、という「良いことも悪いことも内包した時間そのもの」を表すために、15年ほど前から描いている花だ。
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生きていると、愛や誕生、喜びや楽しみのような感情や事象と同時に、
病気や死、そして、恐れや悲しみや嫉妬などのネガティブな感情を感じる日も少なくはない。
私はそういうものを心の中で感じたとき、
精一杯にその感情を味わえるように心がけてきた。
その体験は、とても大変なことなのだけど、重ねていく内に、
それが、自分のなかの優しさや愛となって、
だれかとつながり、人に与えることのできる力となってきたから。
もしかしたら、私は実体験に向き合い続けてきたことで「自分のことば」を得ることができたのかも、と最近思うようになった。
さて、1月末に発売した著書「感性のある人が習慣にしていること」を手にとってくださった方が、1ヶ月半で1万人を超え、4版目の増刷がきまった。有り難いことにまだまだ売れ続けている。
毎日、TwitterやInstagram、様々なSNSで感想が書かれているのを(こっそりと)拝読して、その都度、こちらも感謝の気持ちでいっぱいになる。会ったこともない誰かの背中を、もし小さく押すことが出来ているなら、それは僭越ながらその人の人生を一瞬、共に歩めたような気持ちにさえなるからだ。
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「自分のことば」と書いたが、自分のことばを持つ人との対話が心地よいのは、
そのことばの奥に、虚栄心や嫉妬、恐れなどが隠されていないからだ。
そういう対話は、たいした話をしていなくても、
その時に感じたさわやかな風を思い出すだけで、ぐっとこみ上げるものがある。
その人の、心の奥深く、迂闊に進入できない部分に、
そっと触れられただけで、出会った価値はあったのかもしれない、と思う。
体験は、どんな風にその人の人生に蓄積されていくのだろう。
私は、たまに講演やワークショップをさせていただくのだが、
「あなたの人生で一番うれしかったこと」と「一番悲しかったこと」を教えてください。という質問をよくする。
なぜかというと、
うれしかったことで、その人の過去を知ることができ、
かなしかったことは、その人の未来を知ることが出来る。
そんな風に思うからだ。
逆にいうと、
「悲しかったことがない人」やそこに「何も見いだせなかった人」は
もしかしたら、自分がこれから航海していく羅針盤を見つけられていないのかもしれない。
向き合ってきた人だけが持てる特権が「未来への羅針盤」なのだとしたら、
もうたくさん!!だったとしても「困難」のほうが、その人を成長させ、未来を見せてくれるものなのだろう。
私が大切にしている言葉に
「何があったか、ではなく 何をみたか」というフレーズがある。
事象そのものではなく、
そこから何を見たのか、学んだのか
優しく自分の心に問いただす。 そこには、他責や自責はなく、きっと学びだけが広がっている。
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私が、未熟ながらにも、もっと自分の命の本質を高め、
大切な人のネガティブもポジティブにも、
愛をもって包み込んでいくことができるなら。
もっともっと、私自身を豊かにしてくれるように思っている。
「良いことも悪いことも内包した時間そのもの」
それがきっと人生だからだ。まだまだ、人生を語るには早いのだけど。
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展覧会ももうまもなく。
「自分のことば」っていうお題は、
今度の展覧会最終日、4/4 19時からのトークイベントで、語らいたいテーマでもある。
展覧会詳細はこちらより
https://www.facebook.com/events/5404980989514454
■会期:2022.4.1(金)-4(月)
■開場時間:
金/月 13:00-20:00
土/日 11:00-20:00
■場所:「花萬界然」
東京都墨田区亀沢2-25-4