エゴン・シーレ展は明日まで
今回のシーレは東京都美術館(上野)にて、明日 4月9日(日)まで。
平日(とはいえ金曜日)でも、けっこうな来場者数で、入場までの間に何度か列に並んで待つときがありました。
といっても、それぞれ長くても10分くらい(トータルで20分弱くらい)。
例の感染症騒ぎ以前であれば、シーレくらいのものだともっと盛況で混雑に閉口したかもしれません。
最近やっと緩和(マスク着用の判断は個人に任せるなど)されつつある部分もあり、最盛期(例の感染症騒ぎ)よりは盛り返してきているようです。
事前予約制なんかも含めて、例の感染症騒ぎ(しつこい)の影響はいくつかは良かったものもありますが(もちろん、あえて良い面をみればです)
やっぱりそこそこにぎわっている、活気があるのがいいですね。
そのへん、今はちょうどいいバランスなのかもしれない。
なにより一番うれしいのは、もう不潔(になりがちな)遮蔽物を口にあてなくてもいい、それが強制されないってこと。
思い切りのびのびと呼吸を味わいつつ、鑑賞できるということ。
仕方ないのでしょうが、美術館のひとに鬼の首でもとったかのように「マスク」着用(鼻を出していたり、あごマスク)を指摘されたときの屈辱は、いま思い出してもハラワタが煮えくり返りますし、またハンナ・アーレントのあの言葉を思い出します。
長過ぎる枕はさておき。
個人的にはシーレは天才というよりも、奇才、異才という印象。
もちろん、感覚的なもの、いわゆる才能とか、表現技術、それを支える思想なんかには常人をはるかに超えたものがあると感じますが。
けっこうずるいっていうか、運がいいっていうか(若くして亡くなったこともあり、悲劇的なイメージで語られること多いですが、めちゃめちゃラッキーな人生でしたから)。
偉そうな言葉も会場にディスプレイされてますが(いや、それはそれでいいんです)かなり人間として(この言い方は嫌いですが)問題のある行動もしてたりね。(このへんは山田五郎さんのYoutubeチャンネルに詳しい)
ま、それはさておき。
やっぱりすごい才能ですよ。
会場では、ごく一部ですが写真撮影できるところもありました。
といっても、いかにもシーレっていう作品は対象外。
シーレといえば人物(とくに裸婦や自画像)のイメージが強いですが、風景もけっこう描いてるんですよね。
そして、それはそれで(人物とは別に)魅力的。
佐伯祐三展を思い出したりしつつ。(大阪に近い方はぜひ、大阪中之島美術館へ)
佐伯に脱線しましたが、またシーレにもどって
こういう抽象表現もやっていたのは今回初めて知ったし、実際観ることができたので貴重な機会でした。
抽象表現主義というと第二次世界大戦後のアメリカ(ニューヨーク)で興ったイメージがありますが(そういう認識のひとが多い)、実際はそれ以前にこのへんでも萌芽はあったんですよね。
キュービスムが流れ込んだ当時のロシアやイタリア未来派とか、ジョージア・オキーフなんかも。
とにかく、行ってよかったです。(語彙、貧しい)
とくに今回は「マスク不要」で作品と対峙できる、堪能できるってのが最高でしたね。(佐伯祐三展でも)
当たり前にあるべき、保障されるべき(基本的人権のもとにも)権利がやっと認められる状況に(部分的ではあれ)なってきたことも含めて。