はじめての金継ぎ
はじめての「金継ぎ」(きんつぎ)作品。
その変遷を。
かなりバラバラ。
このマグが生まれる(というか、バラバラになる)まで、気にはなっていたけれど、題材がないので機会のなかった金継ぎ。
100円均一など、安価な器を買って、そして割り、それを持ち込んで(ワークショップなどに)やるひとも少なくないらしい。
とくに海外では、まず「割る」ことから始まることも普通とか。
まずは修復の青写真を。
テープで復元状態を測る。
だいたいの姿(復元の)がみえてきた。
欠片(かけら)がない部分もあり、そこはエポキシ樹脂のパテ(粘土のようなもの)で補完。
使っているパテは食品衛生法をクリアしているものなので、飲食にかかわる器でも問題なし。
強力な接着剤(これも食品衛生法クリア)で破片を接合してから、その隙間(すきま = ひび)にパテを練り込んでいく。
欠片(かけら)のない部分はパテで造形、成形して。
あとになってわかるのだけれど(痛いほどに)この段階で
どれだけ「無駄」な「パテ」を生み出さないか。
これ大事。
あとで削る(やすり等で)という、まったくもって地味で面白くもない(ひとによっては坐禅修養のようにやる)作業の工数がこれで決まるから。
とくに特殊な道具を使うこともなく、ごく普通のカッターでガシガシと余分な部分(パテ)を削りとっていく。
そして、一気に「金(きん)」を入れる、塗っていく段階へ。
ここまで、かなりの日数、工数がかかっている。
だから、パテ等で成形する段階で、どれだけ余分な作業を生まないかっていう青写真をもつ、意識しておくことが大事。
まぁ、最初のころはそういう「修行」的な(釈迦にすれば「苦行に意味はない」なんだけど)過程も体験するのは悪くない。(が、よいわけでもないだろう)
最初の頃の金を入れた状態。
線の太さや色面のムラ(筆致などの)に初心者をうかがわせるものを感じつつも、やっている当人はなかなか「やってる」感を感じて、わりと愉悦。
九割がた完成かなとなってきたところで、また落としてしまい、破損。
数秒くらいはショックに動揺したけれど、思えば「あそこはもっとこうしておくべきだった」というようなところも少なくなく、これは潜在意識がさせた(したかった)ことなんだろうなと素直に認め、また再生への旅へ。
さらにひび割れの箇所が増え、ブラックジャック度がたかまりつつ
完成。
金継ぎ(必ずしも「金」ではないのだけれど)は、どんなものでも(もちろん、ガラスなどの例外はあるにせよ)修復できるのだと気づかせて、体験させて(いや、能動的にも)くれるところにグッとくる。