ポップアート以前のアンディ・ウォーホルに思うこと〜伝記 ウォーホル
アンディ・ウォーホル(本名はアンディ・ウォーホラ)というと「ポップアート」の代名詞と思ってる人は多い。(いわゆるポップアートはアンディ以外にも、彼より早く活動していた人は少なくないのだけれど知名度という意味で)
自分もそのうちのひとりだったのだけれど、本作を読んで彼の画業、そのヒストリーを知ることで彼が多用したシルクスクリーンによる反復、再生産(machine, factory的な)はけっこう後になってからで(コマーシャルアーティストからシリアスアーティストに移行し、さらにその後)前半生ではふつうにというか「描く」人だったことがわかった。
愛用している外部ストレージのジュンク堂池袋店でアンディの作品集を探すと、実にいい線を描いていたこと。
そして「けっこう、いや、かなり描ける人だったんだな」と。
(いやいや、お前ごときが言うなというのは甘受しつつ、純粋に賞賛ということで)
学生時代(カーネギー工科大学、後の、あのカーネギーメロン)はビアズリー(オーブリー・ビアズリー)を彷彿(ほうふつ)とさせるどぎつい線、表現だったそうで、教授のアドバイス(というか矯正なのか)でベン・シャーン寄りの描き方に移行していったなんてことにも「へぇ〜」と。(ビアズリーはオスカー・ワイルドの『サロメ』で装画を描いた人)
まさかベン・シャーンとアンディ・ウォーホルがそこでつながるなんて。
ここでいう「線」(アンディの初期の)について思うのは、ベン・シャーン、クレー(パウル・クレー)、和田誠。
三人ともかすれた線、均質ではない線で描くことに腐心していて、それぞれ自分なりの転写の技法も考案していたりして。(と思ったら、ベン・シャーンは転写ではなく直描きであの筆致を生んでいたそうで、それは和田誠さんが言ってた)
ベン・シャーンというと俺的には和田誠さんがすぐに思い浮かぶんだけど(亡くなって本当に残念)実際に彼はベン・シャーンのファンでファンレターも出して文通(なんと牧歌的な響き)したり、ベン・シャーンが来日したときに(和田さんは当時は学生)彼が泊まっている旅館におしかけていって貴重なアドバイスをもらったりなんてこともあったとか。
ベン・シャーンの第5福竜丸を題材とした作品。(「ラッキードラゴン」)
和田さんといえば息子さんの唱くんの奥さんは上野樹里さんで、うらやましい、、というのはさておき。
「線」に戻ろう。
アンディも後期のスタイルにいくまではリアルな線にこだわって描いていた。そしてその「線」は後期の(ポップアート、反復・再生産)スタイルとは真逆の「味のある」線で、ブロッテッド・ラインというスタイルだった。(インクをにじませたような線)
この線が実にいい。
俺は好きだ。
先にあげた(ビアズリーは除く)三人(ベン・シャーン、和田誠、パウル・クレー)も。(もちろん、色彩感覚、構成の魅力も大きいのだけれども)
クレーは色彩の人だと(本人もある時点でそう決めたとか)思われているかもしれないけれど、骨格としてはまず「線」ありきだと思う。そしてその線を彼独自の転写の技法を用いて表現していたとか。(ようするに、油絵の黒い絵の具を使って半乾きの色面を作り、それをカーボン紙のように使って転写して線画を移し、それに彩色していくようなスタイル)
それほどは(といっても相応に存在と実績、歴史への足跡は認めつつ)興味のなかったアンディ・ウォーホルの伝記をたまたま読んだことで、大好きな表現者たちとのつながりがみえ、そのおかげで以前よりも立体的にそれら(そうした表現)を見られるようになったことはとても嬉しい。
「線」については村上さんのスーパーフラットみたいな志向もあるし、とくに現代はディジタルな表現、そのためのツールがふんだんに使えるのであえてそれ(味)を消す方向で表現する人もいて、それはそれでそれなんだけど、どのみち線の表現にこだわることは不可欠なんじゃないかな。(フラットだろうが味のあるアナログテイストのものだろうが、どちらもこだわっているからこそ)
この伝記はとてもおもしろく、そして興味深く読んだのだけれども、彼(アンディ)が映像表現に移っていってからは退屈だったかなぁ。
デュシャン(マルセル・デュシャン)を標榜するような(ダダ的な)作品は別にして、映像作家としての活動時期のことは俺的にはグロテスクで(だから価値を見出す人もいるのだろう)正直なところしんどかった。
「伝記」としては、だからこそ面白い。そして価値があるのだろうけれども。