ファム・ファタルといえば〜プレヴォ 『マノン・レスコー』
ファム・ファタル(宿命の女、運命の女)といえば「マノン・レスコー」がまっさきに思い浮かぶ。
本作を読むまではマノン・レスコー自体、実際はどんなもの(ひと)なのかは知らなかったけれど、なんとなく「ファム・ファタルといえば、マノン・レスコーだよね」的な。
ファム・ファタルは「悪女」と訳されたり理解されていたりすることが多いけれど、もっと抽象度の高い概念、呼称で
宿命や運命を左右する女
といった理解のほうが適している。
だから、単純に男をたぶらかして金品をみつがせるとか、そういうせせこましい、みみっちいレベルではない。なにせ運命を左右したり、宿命を言い渡したりする役割なのだから。
そして、みつがせたあげく、借金まみれにするとかでは済まさず、男を破滅へ導くという。
例によって例のごとく、ネタバレを避けるために具体的な内容には触れないのだけれど
主人公の男性がマノンに出会い、運命のローラーコースターに乗り込んでしまい、翻弄されるさまはまさにファム・ファタルに魅入られた破滅劇。いや、ときにコミカルでもあるので悲喜劇ともいえる。
あまりにプリマチュア、未成熟で分別のない主人公のどうしようもない短絡的な思考、行動はさもありなんとして(マノンと出会った頃は17歳くらい)
マノン・レスコー。
彼女は本作の裏主人公なのに、その具体的なありよう、容姿については一切描写されていない。
それほど男性を虜にするなら、相応の容姿を備えていて、それをつかってというような描写があってもよさそうなものだけれど、ない。
ここであらためて彼女を「ファム・ファタル」の代名詞(のひとつ)として思うと
あぁ、だからか、と得心する。
運命を左右するとか、宿命を言い渡すような存在に、そんな属人性は必要ではなかったのだろう。
本作におけるマノン・レスコーは、運命や宿命を狂わせる、破綻させるような契機をもたらす「概念」の具現化だった。
そう理解すれば、彼女の物理的、物質的な様子の描写が不要であることも、ラストの唐突な別れも理解できる。
正直なところ、誰にでもすすめたくなるような感想はもっていないけれど、これだけ長く評価され、生き続けているものに触れることができたことは貴重。(当時もモンテスキューやモーパッサンなどの超著名なひとたちが激賞していたし、ベストセラーに)
Amazonのレビューをみると、思いの外、高評価だったりもして、あぁ、現代でもこれくらい刺さる層がいるんだなと。
自分としては、西洋古典文学を、それと意識して読み始めるきっかけになったということと、フランス文学であったというところがエポックメイキング。
実際に購入はどうかなとは思うけれど、こうしてKindle Unlimitedの読み放題だったり、図書館を利用してっていうことなら、ぜひ「フランス古典文学」に出会う、堪能するのは十二分に価値のあることだろう。
そして、巻末の解説や訳者あとがきを読むことで、よりいっそう、本作を楽しむことができる。(とくにこういった古典の場合、そうした導き手、伴走者がいてくれることは大きい)
余談だけれども、マノン・レスコーといえば、40代後半から60代くらいにかけてのひとなら岩崎良美さんの「あなた色のマノン」を思い出すかもしれない。
さびの
「わたしはマノ〜ン〜 マノ〜ンレス〜コ〜♫」
がいまだに脳内にひびきわたるのであった。