なんど読んでもわかった気にはならないだろうけれど〜ヴァージニア・ウルフ 『ダロウェイ夫人』
ヴァージニア・ウルフ。
このひともフォークナーも使った技法「意識の流れ」を使った作家。
しかし、その難解さ(というか、とっつきにくさというべきか)はフォークナーを凌駕する。
ヴァージニア・ウルフの著作のなかでは本作が一番読みやすい(読みやすいことの功罪は別にして)といわれているようだけれど
わたしにとっては正直なところ、ひたすらにしんどかった。
他の作品を読んでいないので、本作だけで言い切ることはできないのだけれど、そりゃ、こういうものを書く(そうした土壌を精神にもっている)のならば、自死という結末を選ぶだろうなと。
解説を書いた方のいうように、ヴァージニア・ウルフという作家は何度読んでも「わかった」気がしないだろう。
だからこそ、読み返す意味、意義があるのだろう。
だからこそ、古典(長い年月を経ても読みつがれ、語り継がれて)としていまも在り続けるのだろう。
でも、それはひとを選ぶ。
何度も読み返す魅力を感じるひともいるだろうし、そうでないひとも。
わたしは後者かもしれない。
わたしは基本、物語はすべからくビルドゥングスロマン(成長小説)であるべきというか、はずだと思っているので、その点においては本作はそれを満たさない。
登場人物たちすべてが、そうした上向きなベクトル(成長)をまったく示していないから。
それでも読了できたのは(その価値を認めたのは)
物語というものは、そういうものであってもいいのだと認めることができたから。
世界でもっとも美しい遺書とされるものを書いたことでも知られる彼女だけれど
それについてもまったく同意できないけれど
彼女の創作における葛藤の、その様は
間違いなくわたしに何かを刻んだ。