煩悩と同じく、ほどほどに〜スマホ脳
スマートフォンへの依存に自覚がまったくないとか、害がある?といったことに疑問をもつ人にはサクッと読めて役立つかもしれません。
以下のような類書を読んだことがある人なら、読んでも立ち読みくらいでいいかも。
とはいえ、「スマホ」だけでなく、その根(依存やそのきっかけとしての反応)についても繰り返し言及しているので、そこからは例の感染症の話題になぜ多くの人が「過剰」に反応するのかもみえてきます。
みえる(読める)人には、ですが。
疑うことのできる人(批判ということではなく、丁寧に吟味という意味で)、自分で考えることを放棄していない人ともいえます。
著者は訳者によるあとがきによると、スウェーデンで今もっとも注目されているメンタルヘルスのインフルエンサーだそうです。
2016年に刊行された『一流の頭脳』が国内で大ベストセラーになり、世界20ヶ国向けに翻訳もされているとか。(私は未読です)
とはいえ、インターネット、スマートフォンから得られる恩恵もまた計り知れないので、こうした警鐘やデータから導かれる事実を考慮しつつ、ほどほどに(目的に応じて)というのがプラグマティックな落とし所でしょう。
個人的には可能であれば捨ててしまうことのほうが(ソローの森の生活のように)物理的な身体にとっては恩恵なのではないかとも思いますが、それもまた目的次第でしょう。(絶対的な良い悪いはなく、あくまでも相対的なものなので。なにが益か害なのかは)
例の感染症騒ぎでいえば(いや、それだけじゃないんだけど)禍根はスマホよりむしろテレビジョンのようです。
もちろん、スマホ(広義ではインターネットでしょうか)はスマホでフェイクが流れ、拡散されているとはいえ、影響を受けやすい(情報リテラシーが低い、テレビが伝えているものは無条件に信じてしまうような)層への親密さが尋常ではないようなので。
本書のように、こうして問題視されるぶん、意識の俎上にあがるぶん、スマホ問題のほうがずっとましなのかもしれません。
悪意(利益誘導のための恣意的な)があるとしか思えないような(もしくは無知、そこからの害ある善意)報道、プログラムをみると。
そして、いまだ多くの人にはテレビジョンはそうした意識にあがらないほどに日常、当たり前になっている。すりこみ元として。(だから前述のような立場をとる側にとっては「使える」のでしょう)
わたしは箱型映像受像装置(テレビジョンともいう)を持っていないので(ネット上での様々なソースで見る限りでしかないので)これはこれで物申す資格はないのかもしれないけれど。
それでも、観なくていい(もう20年以上、それでまったく困ってないし、むしろ平安)のはわかってるつもりです。(つもりはつもりで危険)
しかし、Youtube、Netflix、Amazon Prime Videoはグイグイ観てます。
吟味し(ときにはジャンクな情報も必要として)批判できる態度を忘れないようにしたうえで。