ゾラの長編に躊躇するなら、まずは短編を読めばいいじゃない〜エミール・ゾラ 『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家』
エミール・ゾラといえば
『居酒屋』などの長編がよく知られていて、長編作家のイメージがあるけれど、じつは短編(バラエティに富む、とても魅力的な)もたくさん書いている、と知った。
本書はそんな短編の数々のなかから、これまで出版されていない新しいセレクションを編んだもの。
いい具合に毛色がちがう作品たちで構成されていて、バランスもよく『ゾラ傑作短編集』とうたっているだけのことはある(シンプル、ストレートに「面白い」)。
フランス文学ということでいえば、フローベールなんかとは違って(当たり前なんだけど)いい意味でよみやすく、わかりやすく、きっちりとした(気持ちのよい)構成と展開、締めくくりは見事。
これまたいい意味で大衆文学の作家といえる。
とくに、フランスの十九世紀中頃から後半の時代に、大衆(民衆)をリアルに描いた作家(自然主義、写実主義)という意味でも、やはりゾラはゾラで偉大な作家。
わかりやすい、よみやすいからといって深みがないということではなく、読後にはゾラの表現したかったこと、作品の意味や意義について、じゅうぶんに余韻にひたらせてくれる。
それゆえに(わかりやすい、よみやすい、ストレートな表現など)低級だとか下品だとかいう評価も少なくないらしいけれど(実際、性的な比喩、暗喩、表現は多いけれど、それがイコール低級だとか下品ということにはならない)
こむずかしく、わかりにくく(このへんはあえてフローベールやトーマス・マン、フォークナーなんかを想起しつつ)曖昧で、理解、判断に迷う、苦しむような描き方、表現の仕方が高尚だったり、すぐれているわけでもなく。
もちろん、そういった作家たちも素晴らしく、楽しめるのだから(読みて次第で)
ようは、いい小説もわるい小説も、すぐれた小説もおとる小説もないということ。
ようは読みて次第(機能するかしないか)。
ゾラといえば「ドレフュス事件」(冤罪)なんかも知られるけれど(のちにたもとを分かったとはいえ、セザンヌと親友だったとかも)
それがらみで反ドレフュス派によって暗殺された(直接の死因は一酸化炭素中毒だけど、その原因は煙突の詰まり)説なんかもあったり。
印象派の画家たちとも交流があって(マネがゾラを描いてたりもする)、美術、絵画批評の審美眼も持っていたりして
小説作品だけでなく、ゾラをもっと掘り下げていくのも面白いのかもしれないと思うのであった。
正直、ヴァージニア・ウルフでかなり疲労、困憊(こんぱい)、イライラしていたので、スカッと楽しめた(もちろん、享楽的なということだけではなく)のはありがたかった。
シンプルに、単純に、素直に、面白い。