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哲学を学問にしてはいけない〜哲学の冒険

30年以上も前に書かれた中学生のための哲学の連載内容から起こされた本書は今読んでも十分に読み応えのある内容。(その道の人は別にして、自分のような浅学な者には)

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もとの連載が中学生向けだったとはいえ、いわゆる「子供向け」ではなく、著者の内山さんがあとがきに書いているように「内容的には大人の哲学書」。

私はふたつのことを念頭に置いていました。ひとつは私が中学生だった頃こんな本があったらよかったという気持ちを大事にすることでした。
もうひとつは現代哲学は何を考えなければいけないのかを追求しつづけることでした。大人が読んで面白くない本は誰が読んでも面白いはずはないのです。ですからこの本は内容的には大人の哲学書です。

主人公の少年が15歳のときからはじめた「哲学の冒険」。

それまでは気づかなかったお父さんのある部分と、そこをきっかけにして哲学とはなんなのか?という冒険が日々の学び(本書ならではの哲学史をたどりつつ)、思考、ときにお父さんとの会話によって形になっていきます。

ビルドゥングスロマンとしても秀逸。いや、違うな。それとしても成立していることが秀逸であって、だ。ま、それはさておき。

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本編(哲学の冒険)に入る前、お父さんが言うことが、例の感染症騒ぎから「新たなる日常」なんていう醜悪な光景を当たり前にしている人々を想起させてゾッとします。

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あの車の運転手たちだって、社会のためにルールを守っている人なんてほとんどいないよ、きっと。信号が青なら前進、赤なら停止、ただなんとなくそうしている。みんながなんとなく周りの人たちと同じようにしている。皆と同じようにするように慣らされてしまっているだけさ。まあ自動車の運転だったらそれでもいいかもしれない。でも父さんたちも結局そうやって生きているだけだとしたら……

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あの車の運転手だって、自分は自由に運転していると誰もが思っているさ。人は誰でも自分は自由だと思っている。しかし父さんにはそうは思えないね。父さんだって自分の意思でこの会社で働いて、けっこう自由に仕事をしているよ。しかし空の上からみていたら、父さんは自由なのかな。誰もと同じように生きているだけなんじゃないかな。そう考えると自分は自由だと思っている分だけ、人間ってのはみじめな動物だと思えてくる。自分は自由に生きていないっていえないんだから

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タイトルに含まれている「哲学を学問にしてはいけない」は、少年の哲学の冒険(哲学ノート第一冊め)の終盤で辿り着いた頂(いただき)のひとつ。

僕はこう思うんだ。哲学を学問にしてはいけないと。なぜなら哲学は一方の手でつくられつづけて発展させられつづけながら、もう一方の手で壊されつづけなければならないという宿命を背負っているからだ。

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