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ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。

今回はナボコフの『絶望』。

絶望という言葉は嫌いではない。

というか、好きだ。

なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。

広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である

ひとはショックからしか学べない
(Human Shock, Culture Shock, Nature Shock)

のように。

ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身のアメリカの作家。

なぜ「アメリカの作家」かといえば、彼はロシア革命のあと、早々に祖国をあとにして、母語であるロシア語だけでなく、フランス語、英語などの複数の言語で作品を執筆していたから(そして、彼自身、そう自認していた)。

彼ほど複数の言語で作品を発表したマルチリンガルの作家はめずらしい。

本作(光文社古典新訳文庫における新訳版)は本邦初の、原典(ロシア語)からの翻訳だとか。

これまでは重訳(英語など、他の言語に翻訳されたものを日本語訳に)ばかりで、原典からというのは、それだけでもこの新訳の意味、意義がある。

例によって例のごとく、ネタバレは避けたいので本編の具体的なところには触れないのだけれど

非常にユニークだなぁという印象。

おもしろいとかわらえるとかの意味ではなく、一意であるという点で。

話の筋はシンプルなんだけど、それよりもその周辺に散りばめられた、一見無意味というか、無視してもよさそうな(本筋からすれば)諸々にこそ、ナボコフが表現、伝えたかったメッセージが込められているという点において。

そういう意味でも、やはり原典からの訳であるということは重要。

とはいえ、読み手を選ぶ作品だなぁとも。

フローベールやマンのような難解さとは別の、とっつきにくさみたいなものはある。

逆に、はまった場合は、グイグイと堪能できるのだろう。

その「はまった」読者は、かなりひねくれ者というか、あまり一般社会でうまくやっていけないひとたちなのではないかなぁとも思いつつ。

本作も、訳者による解説、あとがきもワンセット、必読で。

この勢いを駆って、つぎは『カメラ・オブスクーラ』かなぁ。


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