静物画を「ゴッホ」という串で串刺しに〜ゴッホと静物画 展@SOMPO美術館
「ゴッホもの」の企画展としてはユニーク、新鮮味があって堪能できた。
いちおう、というか、ゴッホの名前を冠しているけれど、主テーマは「静物」。
ただ「静物(画)」としてしまうと収拾がつかなくなるので、そこにゴッホという「串」をもちいて、グサッと突き通した諸々を、という感じで、それが功を奏していた。
そもそも、ゴッホは静物画については鍛錬としていたようで、実験的なことも数多くしていて、そういう意味でもユニーク、新鮮(ロココ風の筆致で描かれたものもあったり)。
この骸骨なんて、かなり意外。
ゴッホ以外の画家の作品も同様にユニーク。
ルノアール、マネ、モネ、ピサロ、セザンヌ、ゴーガンなどなど
人物画のルノワールには珍しい。でも、やっぱりルノワール。
モネも、やっぱり「モネ」。
静物画にしぼって、こうしたゴッホ周辺画家に光をあてると、これまで見えていなかった、意識していなかった各様の魅力、センス等々がうかびあがってきておもしろい。
このゴーガンの作品も「え?あのゴーガンが?」と。
作中の彫像もゴーガン作だそう。
とはいえ、満足度レベルでは6.5〜7くらいか。
ユニークだし、新鮮味はあるんだけど、そもそもゴッホは「静物画大好き」な(モランディのような)画家ではないし、あくまでも修練として(それだけではないにしろ)取り組んでいたわけで
そうすると、そこにはおのずと(鑑賞者にとっては)「ピンだと、これはどうかな」というものも。
それはそれで面白い、興味深いからこそ、こういう企画が成り立つわけだけれども。
ゴッホにおいて、静物画を主軸にするということで、逆にゴッホの核の部分が曖昧になるというか。
はっきりいってしまえば、パンチのない作品もあがってくるわけで
繰り返しになるけれど、そうしたところが本企画展の意図、価値、意義ではあることを認めつつ。
ひまわり(SOMPOの収蔵品)、アイリスはやっぱり本展の主役級に魅せ方がなされていて、前回(山下清展)最後に「おまけ」のように見せてもらったものとはまったく違っていた。
本展をきっかけに、これまであまり(というかほとんど)興味のなかった静物画(西洋古典絵画におけるそれとは別に)の見方も変わって、これからの機会が楽しみになったというものでも、グッジョブな展覧会だった。