#西洋古典文学
人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』
バルザックといえば、一日に何十杯もコーヒーを飲むくらいしか知らなかったけれど
『ゴリオ爺さん』
いやー、おもしろかった。
前半、半分くらいまでは登場人物たちの説明でかなり退屈なんだけれど(苦痛なくらいに)、その儀礼を過ぎてしまえば、あとは怒涛の展開でページを繰る指がとまらない。
このさき、どうなってしまうんだろう?
という、ジェットコースター的なハラハラ、ドキドキ感で、後半は一気に読み進
激しく身体感覚に訴える〜ジャック・ロンドン 『火を熾す』
ジャック・ロンドンというと『野生の呼び声』や『白い牙』あたりがよく知られ、読まれているのかな?
でも、短編にもすこぶる魅力的な作品は多い(短編のほうが筆力を発揮できているのではないかと思うほど)。
10年以上昔、スイッチ・パブリッシングから出た柴田元幸氏セレクションの『火を熾す - 柴田元幸 翻訳叢書 ジャック・ロンドン』は
一時期品薄で、プレミア価格までついて(けっこうな、そしてあこぎな)
四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』
ドストエフスキーはじめ、ロシア文学は名前がどうしてもおぼえにくくて(しかも長かったりして)敬遠しがちなのだけれど、ナボコフきっかけで(とはいえ、彼は自分をロシア文学の作家とはみなしていない)また挑戦している。
好きなひとはいるし(原文で読むことも厭わないひとだって少なくない)シンプルに趣味、楽しみとして読むひともこれまた少なくないのだから、単純に自分の素養のなさ、相性なのかなとは思うのだけれど。
口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』
最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。
ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。
ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど
冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)
ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』
古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。
今回はナボコフの『絶望』。
絶望という言葉は嫌いではない。
というか、好きだ。
なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。
広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である
のように。
ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身
学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』
ヘルマン・ヘッセといえば『車輪の下』。
でもそれは世界的にみると特殊なことのようで、たとえばドイツ本国と比べると日本での同書の売上は10倍(1972年〜82年の10年間の比較)だとか。
読むとわかるけれど、本書には随所に教育制度や学校に対する(学校や教師だけにとどまらず、社会機構もふくめて)批判がみられる。
これはヘッセみずからの体験からくるものでもあり、それだけに痛切に説得力をもって訴えか
マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』
「エロス三部作」から始めるトーマス・マン(この呼称は翻訳家の岸 美光氏による恣意的なものだそう)。
なぜこの三作からというと、トーマス・マンが敬遠されがちというか、ハードルが高く感じられる様々な面がかなり軽減されていること。
短編や中編であったり(マンは難解なうえに長編がスタンダードだったりするので)
ストーリー自体はきわめてシンプルでわかりやすかったり(140文字でいけるくらい)
エロス
300年以上も昔に書かれ、これまで100カ国以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー〜デフォー 『ロビンソン・クルーソー』
難破、漂流、無人島とくれば『ロビンソン・クルーソー』。
昨今でもそうなのかは知らないけれど、多くの子どもたち、昔子どもだったおとなたちが、簡略化、編集された版や漫画版など、なにかしらに触れ、ざっくりとでも話の大筋は知っているだろう。
最低でも、乗っていた船が難破、遭難して無人島へ。
そこでとても長い間(28年)孤独に暮らすというもの。
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