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読書の轍

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わたしになにかしらの轍を残していった書物たち。
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#西洋古典文学

人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』

人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』

バルザックといえば、一日に何十杯もコーヒーを飲むくらいしか知らなかったけれど

『ゴリオ爺さん』

いやー、おもしろかった。

前半、半分くらいまでは登場人物たちの説明でかなり退屈なんだけれど(苦痛なくらいに)、その儀礼を過ぎてしまえば、あとは怒涛の展開でページを繰る指がとまらない。

このさき、どうなってしまうんだろう?

という、ジェットコースター的なハラハラ、ドキドキ感で、後半は一気に読み進

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激しく身体感覚に訴える〜ジャック・ロンドン 『火を熾す』

激しく身体感覚に訴える〜ジャック・ロンドン 『火を熾す』

ジャック・ロンドンというと『野生の呼び声』や『白い牙』あたりがよく知られ、読まれているのかな?

でも、短編にもすこぶる魅力的な作品は多い(短編のほうが筆力を発揮できているのではないかと思うほど)。

10年以上昔、スイッチ・パブリッシングから出た柴田元幸氏セレクションの『火を熾す - 柴田元幸 翻訳叢書 ジャック・ロンドン』は

一時期品薄で、プレミア価格までついて(けっこうな、そしてあこぎな)

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四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

ドストエフスキーはじめ、ロシア文学は名前がどうしてもおぼえにくくて(しかも長かったりして)敬遠しがちなのだけれど、ナボコフきっかけで(とはいえ、彼は自分をロシア文学の作家とはみなしていない)また挑戦している。

好きなひとはいるし(原文で読むことも厭わないひとだって少なくない)シンプルに趣味、楽しみとして読むひともこれまた少なくないのだから、単純に自分の素養のなさ、相性なのかなとは思うのだけれど。

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自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

フォークナーのとんでもない凄みを『八月の光』で体験して、その勢いにまかせ、さっそく別の作品も読んでみた。

フォークナーの最初の代表作とされ、彼自身も愛したという『響きと怒り』。

これまた度肝をぬかれるほどに予想を裏切られ(予想どおりであれば読む価値はないのだけれど)フォークナーのとんでもなさを、上下巻というボリュームで「いやというほど」あじわった。

『八月の光』も(というよりも、フォークナー

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口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。

ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。

ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど

冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)

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正座もの〜フォークナー 『八月の光』

正座もの〜フォークナー 『八月の光』

まだ7割くらいまでしか読んでいないけれど、とんでもない名作、作家に出会ってしまったかもしれない。

すくなくとも自分のこれまでの(けっして多いとはいえないが)読書体験でいえば、とくにアメリカ文学においては超絶、最高峰といえるのではないか。

その作家はフォークナー。

作品は『八月の光』。

こうした小説は日本人には絶対書けない(無理やりひっぱってくるとしたら、思いつくのは高橋和巳の『邪宗門』か)

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ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。

今回はナボコフの『絶望』。

絶望という言葉は嫌いではない。

というか、好きだ。

なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。

広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である

のように。

ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身

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学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』

学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』

ヘルマン・ヘッセといえば『車輪の下』。

でもそれは世界的にみると特殊なことのようで、たとえばドイツ本国と比べると日本での同書の売上は10倍(1972年〜82年の10年間の比較)だとか。

読むとわかるけれど、本書には随所に教育制度や学校に対する(学校や教師だけにとどまらず、社会機構もふくめて)批判がみられる。

これはヘッセみずからの体験からくるものでもあり、それだけに痛切に説得力をもって訴えか

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マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』

マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』

「エロス三部作」から始めるトーマス・マン(この呼称は翻訳家の岸 美光氏による恣意的なものだそう)。

なぜこの三作からというと、トーマス・マンが敬遠されがちというか、ハードルが高く感じられる様々な面がかなり軽減されていること。

短編や中編であったり(マンは難解なうえに長編がスタンダードだったりするので)

ストーリー自体はきわめてシンプルでわかりやすかったり(140文字でいけるくらい)

エロス

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300年以上も昔に書かれ、これまで100カ国以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー〜デフォー 『ロビンソン・クルーソー』

300年以上も昔に書かれ、これまで100カ国以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー〜デフォー 『ロビンソン・クルーソー』

難破、漂流、無人島とくれば『ロビンソン・クルーソー』。

昨今でもそうなのかは知らないけれど、多くの子どもたち、昔子どもだったおとなたちが、簡略化、編集された版や漫画版など、なにかしらに触れ、ざっくりとでも話の大筋は知っているだろう。

最低でも、乗っていた船が難破、遭難して無人島へ。

そこでとても長い間(28年)孤独に暮らすというもの。

*これもKindle Unlimitedなら「読み放題

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