#光文社古典新訳文庫
人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』
バルザックといえば、一日に何十杯もコーヒーを飲むくらいしか知らなかったけれど
『ゴリオ爺さん』
いやー、おもしろかった。
前半、半分くらいまでは登場人物たちの説明でかなり退屈なんだけれど(苦痛なくらいに)、その儀礼を過ぎてしまえば、あとは怒涛の展開でページを繰る指がとまらない。
このさき、どうなってしまうんだろう?
という、ジェットコースター的なハラハラ、ドキドキ感で、後半は一気に読み進
口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』
最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。
ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。
ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど
冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)
ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』
古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。
今回はナボコフの『絶望』。
絶望という言葉は嫌いではない。
というか、好きだ。
なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。
広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である
のように。
ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身
学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』
ヘルマン・ヘッセといえば『車輪の下』。
でもそれは世界的にみると特殊なことのようで、たとえばドイツ本国と比べると日本での同書の売上は10倍(1972年〜82年の10年間の比較)だとか。
読むとわかるけれど、本書には随所に教育制度や学校に対する(学校や教師だけにとどまらず、社会機構もふくめて)批判がみられる。
これはヘッセみずからの体験からくるものでもあり、それだけに痛切に説得力をもって訴えか
マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』
「エロス三部作」から始めるトーマス・マン(この呼称は翻訳家の岸 美光氏による恣意的なものだそう)。
なぜこの三作からというと、トーマス・マンが敬遠されがちというか、ハードルが高く感じられる様々な面がかなり軽減されていること。
短編や中編であったり(マンは難解なうえに長編がスタンダードだったりするので)
ストーリー自体はきわめてシンプルでわかりやすかったり(140文字でいけるくらい)
エロス
300年以上も昔に書かれ、これまで100カ国以上の言語に翻訳された世界的ベストセラー〜デフォー 『ロビンソン・クルーソー』
難破、漂流、無人島とくれば『ロビンソン・クルーソー』。
昨今でもそうなのかは知らないけれど、多くの子どもたち、昔子どもだったおとなたちが、簡略化、編集された版や漫画版など、なにかしらに触れ、ざっくりとでも話の大筋は知っているだろう。
最低でも、乗っていた船が難破、遭難して無人島へ。
そこでとても長い間(28年)孤独に暮らすというもの。
*これもKindle Unlimitedなら「読み放題
『ボヴァリー夫人』のハードルが高いなら、短編集を読めばいいじゃない〜フローベール 『三つの物語』
フローベールといえば『ボヴァリー夫人』や『感情教育』といった長編作品で知られる作家だけれども
正直いって、まだ古典にそれほど慣れ親しんでいない読者には、かなりハードルが高い(なにより、長い)。
だったら、短編、中編を読めばいいじゃない、というのは先日の投稿とおなじロジック。
フローベールの短編集には『三つの物語』(Kindle Unlimited 読み放題対象)というすばらしい作品があるのだ
『白鯨』のハードルが高いなら、短編・中編を読めばいいじゃない〜メルヴィル 『書記バートルビー/漂流船』
メルヴィル(ハーマン・メルヴィル)といえば『白鯨』
(これまたKindle Unlimited「読み放題」対象)
しかし、かなりの長編であることや冗長、難解でなかなか読破できないという声も多い。
だったらまずは短編や中編に触れてみるのが吉。
いやー、これは読みやすいとか関係なく、シンプル、ストレートに面白い。
(interestingという意味で)
『書記バートルビー』は、いわゆる不条理も
ファム・ファタルといえば〜プレヴォ 『マノン・レスコー』
ファム・ファタル(宿命の女、運命の女)といえば「マノン・レスコー」がまっさきに思い浮かぶ。
本作を読むまではマノン・レスコー自体、実際はどんなもの(ひと)なのかは知らなかったけれど、なんとなく「ファム・ファタルといえば、マノン・レスコーだよね」的な。
ファム・ファタルは「悪女」と訳されたり理解されていたりすることが多いけれど、もっと抽象度の高い概念、呼称で
宿命や運命を左右する女
といった
古典文学が楽しめるようになってうれしい、たのしい、しかも読み放題で
古典文学(いまのところは西洋)マイブームが好調。
まさかこの俺が古典文学を楽しめるようになるとは、数ヶ月前まではまったく思ってもみなかった。
もちろん、そうとは知らず(意識せず)そうした「古典文学」を読み、慣れ親しむことは、これまでもあったけれど(たとえば、幼少時に読んだ「里見八犬伝」や「小公子」、「小公女」などなど)
こうして意識して(古典文学を読むんだ、と)っていうのは人生はじめてなわけ
文学こそ最高の教養である〜光文社古典新訳文庫
今年のベスト3(もちろん、私的な)には入るであろう一冊が『文学こそ最高の教養である』。
あまりに面白く、深く、また古典文学の各作品を舞台にさまざまな歴史、エピソードを縦断できる読書体験は稀有といってもいいすぎではない。
最近すっかり古典(文学)がマイブームなのだけれど(おそまきながら)「古典」となると翻訳が古くて(今の時代には)硬かったり、理解しにくかったりというハードルがある。
ましてやわ