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読書の轍

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わたしになにかしらの轍を残していった書物たち。
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#フォークナー

フォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する〜ポータブル・フォークナー

フォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する〜ポータブル・フォークナー

アメリカ南部に位置する架空の土地を舞台にした一大叙事詩、壮大な群像劇、神話(サーガ)がフォークナーの作品世界。

ふつうに読んでも、必死に読んでも、一生懸命読んでも「なんだこりゃ」感が否めない作品が多いけれど(いわゆる「意識の流れ」という手法のせいで)なぜかハマるというか、読後の放心状態がたまらない。

『響きと怒り』がヘヴィで暗く、救いがなくて(しかも難解で)ちょっときつかったかなぁと思い、じゃ

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なんど読んでもわかった気にはならないだろうけれど〜ヴァージニア・ウルフ 『ダロウェイ夫人』

なんど読んでもわかった気にはならないだろうけれど〜ヴァージニア・ウルフ 『ダロウェイ夫人』

ヴァージニア・ウルフ。

このひともフォークナーも使った技法「意識の流れ」を使った作家。

しかし、その難解さ(というか、とっつきにくさというべきか)はフォークナーを凌駕する。

ヴァージニア・ウルフの著作のなかでは本作が一番読みやすい(読みやすいことの功罪は別にして)といわれているようだけれど

わたしにとっては正直なところ、ひたすらにしんどかった。

他の作品を読んでいないので、本作だけで言い

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四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

ドストエフスキーはじめ、ロシア文学は名前がどうしてもおぼえにくくて(しかも長かったりして)敬遠しがちなのだけれど、ナボコフきっかけで(とはいえ、彼は自分をロシア文学の作家とはみなしていない)また挑戦している。

好きなひとはいるし(原文で読むことも厭わないひとだって少なくない)シンプルに趣味、楽しみとして読むひともこれまた少なくないのだから、単純に自分の素養のなさ、相性なのかなとは思うのだけれど。

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自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

フォークナーのとんでもない凄みを『八月の光』で体験して、その勢いにまかせ、さっそく別の作品も読んでみた。

フォークナーの最初の代表作とされ、彼自身も愛したという『響きと怒り』。

これまた度肝をぬかれるほどに予想を裏切られ(予想どおりであれば読む価値はないのだけれど)フォークナーのとんでもなさを、上下巻というボリュームで「いやというほど」あじわった。

『八月の光』も(というよりも、フォークナー

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正座もの〜フォークナー 『八月の光』

正座もの〜フォークナー 『八月の光』

まだ7割くらいまでしか読んでいないけれど、とんでもない名作、作家に出会ってしまったかもしれない。

すくなくとも自分のこれまでの(けっして多いとはいえないが)読書体験でいえば、とくにアメリカ文学においては超絶、最高峰といえるのではないか。

その作家はフォークナー。

作品は『八月の光』。

こうした小説は日本人には絶対書けない(無理やりひっぱってくるとしたら、思いつくのは高橋和巳の『邪宗門』か)

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