マガジンのカバー画像

読書の轍

91
わたしになにかしらの轍を残していった書物たち。
運営しているクリエイター

2023年10月の記事一覧

自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

フォークナーのとんでもない凄みを『八月の光』で体験して、その勢いにまかせ、さっそく別の作品も読んでみた。

フォークナーの最初の代表作とされ、彼自身も愛したという『響きと怒り』。

これまた度肝をぬかれるほどに予想を裏切られ(予想どおりであれば読む価値はないのだけれど)フォークナーのとんでもなさを、上下巻というボリュームで「いやというほど」あじわった。

『八月の光』も(というよりも、フォークナー

もっとみる
口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。

ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。

ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど

冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)

もっとみる
正座もの〜フォークナー 『八月の光』

正座もの〜フォークナー 『八月の光』

まだ7割くらいまでしか読んでいないけれど、とんでもない名作、作家に出会ってしまったかもしれない。

すくなくとも自分のこれまでの(けっして多いとはいえないが)読書体験でいえば、とくにアメリカ文学においては超絶、最高峰といえるのではないか。

その作家はフォークナー。

作品は『八月の光』。

こうした小説は日本人には絶対書けない(無理やりひっぱってくるとしたら、思いつくのは高橋和巳の『邪宗門』か)

もっとみる
ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。

今回はナボコフの『絶望』。

絶望という言葉は嫌いではない。

というか、好きだ。

なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。

広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である

のように。

ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身

もっとみる
学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』

学校で学んだのはラテン語と、うそをつくことだけだった〜ヘッセ 『車輪の下で』

ヘルマン・ヘッセといえば『車輪の下』。

でもそれは世界的にみると特殊なことのようで、たとえばドイツ本国と比べると日本での同書の売上は10倍(1972年〜82年の10年間の比較)だとか。

読むとわかるけれど、本書には随所に教育制度や学校に対する(学校や教師だけにとどまらず、社会機構もふくめて)批判がみられる。

これはヘッセみずからの体験からくるものでもあり、それだけに痛切に説得力をもって訴えか

もっとみる
好きなひとにはもちろん、わからないひとにも〜すぐわかる抽象絵画の見かた

好きなひとにはもちろん、わからないひとにも〜すぐわかる抽象絵画の見かた

よくいえばシンプル、朴訥、謹厳実直。

わるくいえば、ぱっとしない。

そんな装丁、デザインとはうらはらに、期待をうわまる内容だった本書。

現在は絶版なのか、Amazonでしらべたら実売価格の倍以上で売られていた。

そんなわけで、やはりありがたい図書館。

とはいえ、本書については自分の手許にもおいておきたいと思ったので、ちと残念。古本屋で出会えることを期待しよう。

内容についてはタイトルが

もっとみる
西洋美術史のゲシュタルトはこれでつかむ〜木村泰司の西洋美術史

西洋美術史のゲシュタルトはこれでつかむ〜木村泰司の西洋美術史

ちょっと前までは美術史なんて、それほど興味もなく、それでも相応に楽しんでいたのだけれど、ふと「勉強したらもっと楽しいかも」と。

木村泰司氏(西洋美術史家)はこれまでも新書くらいでは数冊読んでいて、その経験と博識に尊敬の念をいだきつつ、楽しませてもらってきた。

どれもテーマ、切り口がユニークで、氏の座右の銘「絵はみるものではなく読むもの」にとても役に立つし、なによりおもしろい。

そんなこんなで

もっとみる
マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』

マンのハードルが高いなら、まずはエロス三部作を読めばいいじゃない〜トーマス・マン 『ヴェネツィアに死す』

「エロス三部作」から始めるトーマス・マン(この呼称は翻訳家の岸 美光氏による恣意的なものだそう)。

なぜこの三作からというと、トーマス・マンが敬遠されがちというか、ハードルが高く感じられる様々な面がかなり軽減されていること。

短編や中編であったり(マンは難解なうえに長編がスタンダードだったりするので)

ストーリー自体はきわめてシンプルでわかりやすかったり(140文字でいけるくらい)

エロス

もっとみる