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読書の轍

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わたしになにかしらの轍を残していった書物たち。
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人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』

人間喜劇は釈迦の「一切皆苦」につながる〜バルザック 『ゴリオ爺さん』

バルザックといえば、一日に何十杯もコーヒーを飲むくらいしか知らなかったけれど

『ゴリオ爺さん』

いやー、おもしろかった。

前半、半分くらいまでは登場人物たちの説明でかなり退屈なんだけれど(苦痛なくらいに)、その儀礼を過ぎてしまえば、あとは怒涛の展開でページを繰る指がとまらない。

このさき、どうなってしまうんだろう?

という、ジェットコースター的なハラハラ、ドキドキ感で、後半は一気に読み進

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子どものころの純粋な読書欲求を思い出す〜スティーブンスン 『宝島』

子どものころの純粋な読書欲求を思い出す〜スティーブンスン 『宝島』

『宝島』といえば、作者の名前は知らなかったり、思い出せなくとも、多くの「昔は子どもだった」大人たち(そして、現代の子どもたち)の記憶に残っている、元祖海洋冒険もののひとつ。

『ロビンソン・クルーソー』も、もちろんそのひとつ。

作者のスティーブンスン(スティーブンソン、スチーブンソンとも)はスコットランド生まれの英国人で、その生涯は44年と短かった(病弱だったようで)。

そのわりには既婚者の女

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フォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する〜ポータブル・フォークナー

フォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する〜ポータブル・フォークナー

アメリカ南部に位置する架空の土地を舞台にした一大叙事詩、壮大な群像劇、神話(サーガ)がフォークナーの作品世界。

ふつうに読んでも、必死に読んでも、一生懸命読んでも「なんだこりゃ」感が否めない作品が多いけれど(いわゆる「意識の流れ」という手法のせいで)なぜかハマるというか、読後の放心状態がたまらない。

『響きと怒り』がヘヴィで暗く、救いがなくて(しかも難解で)ちょっときつかったかなぁと思い、じゃ

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生命とは続いていくなかで在り続けるもの〜『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』

生命とは続いていくなかで在り続けるもの〜『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』

宮本常一(民俗学者)と渋沢敬三の出会い、縁もすごいんだけど(それ以前の彼らの存在自体も)

その周囲も、個々だけじゃなくて、ひっくるめて全部が超劇的。

しかもそれがモノホンの日本の近代の歴史なんだから、こういうひとたちがホントにいたんだと知ると、すごい、ホントに凄い。

しかも、彼らひとりひとりがというだけでなく、やはり人という存在は昔(あえて「過去」ではなく)から未来に向かって、間違いなく「つ

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ゾラの長編に躊躇するなら、まずは短編を読めばいいじゃない〜エミール・ゾラ 『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家』

ゾラの長編に躊躇するなら、まずは短編を読めばいいじゃない〜エミール・ゾラ 『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家』

エミール・ゾラといえば

『居酒屋』などの長編がよく知られていて、長編作家のイメージがあるけれど、じつは短編(バラエティに富む、とても魅力的な)もたくさん書いている、と知った。

本書はそんな短編の数々のなかから、これまで出版されていない新しいセレクションを編んだもの。

いい具合に毛色がちがう作品たちで構成されていて、バランスもよく『ゾラ傑作短編集』とうたっているだけのことはある(シンプル、スト

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なんど読んでもわかった気にはならないだろうけれど〜ヴァージニア・ウルフ 『ダロウェイ夫人』

なんど読んでもわかった気にはならないだろうけれど〜ヴァージニア・ウルフ 『ダロウェイ夫人』

ヴァージニア・ウルフ。

このひともフォークナーも使った技法「意識の流れ」を使った作家。

しかし、その難解さ(というか、とっつきにくさというべきか)はフォークナーを凌駕する。

ヴァージニア・ウルフの著作のなかでは本作が一番読みやすい(読みやすいことの功罪は別にして)といわれているようだけれど

わたしにとっては正直なところ、ひたすらにしんどかった。

他の作品を読んでいないので、本作だけで言い

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超がつくほど難解な西田哲学を読むのに最適な〜福岡伸一、西田哲学を読む

超がつくほど難解な西田哲学を読むのに最適な〜福岡伸一、西田哲学を読む

超がつくほど難解で知られる西田幾多郎の哲学。「動的平衡」の福岡伸一さんが本書で読み解いていく様が素晴らしい。会話形式なのも読みやすさの一助に。

西田哲学の入門に必須としていいくらいの好著、力作、労作。

例の感染症騒ぎによる「白痴化」のすすむ今、まさに必要な〜武器としての決断思考

例の感染症騒ぎによる「白痴化」のすすむ今、まさに必要な〜武器としての決断思考

本稿は、2020年8月18日に投稿したもののリライト。

故 瀧本哲史氏の『武器としての決断思考』。

本書は「ディベート」をテーマに、論理的な思考とはどういうものかについて書かれている。

その「論理的」な思考からみちびかれる決断を大事にしよう、活用しようと。

例の馬鹿げた感染症騒ぎ(その対策等)をはじめとする、植え付けられた恐怖で支配されている「今」、それに感情、脊髄反射(もしくは黙従、盲従

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激しく身体感覚に訴える〜ジャック・ロンドン 『火を熾す』

激しく身体感覚に訴える〜ジャック・ロンドン 『火を熾す』

ジャック・ロンドンというと『野生の呼び声』や『白い牙』あたりがよく知られ、読まれているのかな?

でも、短編にもすこぶる魅力的な作品は多い(短編のほうが筆力を発揮できているのではないかと思うほど)。

10年以上昔、スイッチ・パブリッシングから出た柴田元幸氏セレクションの『火を熾す - 柴田元幸 翻訳叢書 ジャック・ロンドン』は

一時期品薄で、プレミア価格までついて(けっこうな、そしてあこぎな)

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四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

四大長編に挑む前のウォーミングアップ、基礎体力作りに〜ドストエフスキー 『死の家の記録』

ドストエフスキーはじめ、ロシア文学は名前がどうしてもおぼえにくくて(しかも長かったりして)敬遠しがちなのだけれど、ナボコフきっかけで(とはいえ、彼は自分をロシア文学の作家とはみなしていない)また挑戦している。

好きなひとはいるし(原文で読むことも厭わないひとだって少なくない)シンプルに趣味、楽しみとして読むひともこれまた少なくないのだから、単純に自分の素養のなさ、相性なのかなとは思うのだけれど。

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自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

自分の頭がおかしくなったんじゃないかと不安になる〜フォークナー 『響きと怒り』

フォークナーのとんでもない凄みを『八月の光』で体験して、その勢いにまかせ、さっそく別の作品も読んでみた。

フォークナーの最初の代表作とされ、彼自身も愛したという『響きと怒り』。

これまた度肝をぬかれるほどに予想を裏切られ(予想どおりであれば読む価値はないのだけれど)フォークナーのとんでもなさを、上下巻というボリュームで「いやというほど」あじわった。

『八月の光』も(というよりも、フォークナー

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口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

口述筆記のライブ感をギャンブルの疾走感とからめて〜ドストエフスキー 『賭博者』

最近はドストエフスキーをつづけて読んでいる。

ロシア文学は登場人物の名前がおぼえにくくて(長いし)苦手なんだけれども、本作品はそのへんをいくぶんか気遣ってくれているようで、、いや、気の所為だろう。

ギャンブル(ルーレット)という、ライブ感あふれ、疾走感と共ににつむがれるストーリー展開のおかげもあるけれど

冒頭(1/3くらいまでか)の読みにくさ(名前のおぼえにくさとは別に、そうしたものはある)

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正座もの〜フォークナー 『八月の光』

正座もの〜フォークナー 『八月の光』

まだ7割くらいまでしか読んでいないけれど、とんでもない名作、作家に出会ってしまったかもしれない。

すくなくとも自分のこれまでの(けっして多いとはいえないが)読書体験でいえば、とくにアメリカ文学においては超絶、最高峰といえるのではないか。

その作家はフォークナー。

作品は『八月の光』。

こうした小説は日本人には絶対書けない(無理やりひっぱってくるとしたら、思いつくのは高橋和巳の『邪宗門』か)

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ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

ひとは絶望とショックからしか学ばない〜ナボコフ 『絶望』

古典文学(厳密な「古典」以外も含まれるけれど)渉猟の旅はつづく。

今回はナボコフの『絶望』。

絶望という言葉は嫌いではない。

というか、好きだ。

なにごとも、すくなくとも新しい何かは絶望からしか生まれないと思っている。

広中平祐氏(数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」受賞の)の名言である

のように。

ナボコフといえば「ロリコン」の語源になった『ロリータ』で知られる、ロシア出身

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