エッセイ「母との因縁」
父との事をnoteに投稿したら割りと好評だったようで、その自由奔放カメラ小僧の愛すべき嫁っこで、私の母の話をしたい。
母との因縁の始まりは小学生の時の算数の割り算や掛け算の宿題の最中だったと思う。
「だからそれは法則だから!!!」
「だからどうし0.7をかけると3割引になる理由を答えてよ」
登校渋りをしていたため算数の学習に遅れが出たため、母のスパルタ教育を受けたが納得のいかない8才の私の構図はいまだに変わって居ないように思うときがあり、どちらが頑固なのかいまいち解らない。
その後無事に高校までは進学し卒業をすることになるのだが「0.7の答え」は未だにでていない。
母は27年もの長きに渡り、女の愚痴悪口、今で言うマウントの取り合いのスーパーという環境の中で惣菜屋さん鮮魚店で生活を支え定時までに仕事を終えそのエプロン姿のままでコロッケを1から作っていた。それはそれはあっという間だったと言っていたが、それに私が仕事でこんつまるまで仕事の愚痴など一切を家庭の中でこぼしたことがないのだ。いやこぼす余裕がなかったのかもしれない。
障がい者となった私を母は消して甘やかさなかったし、母が悲観しているようすもなかった。むしろよく一緒に映画も見に行ったし、私が1ヶ月に2回くらいのペースで仕事を変えたときもお給料でよく食べに行った。
確かに母は今でこそ引退しぼうっとしているまだ。まだ0.7をかけるとどうして3割引になる答えは教えてもらっていないしイライラが募るとどうしても母に当たってしまうこともあるのが事実。要するにいつまでたっても母のなかでは私は子供で、越えられないからあーこーだわめいてしまうのだと思う。
これを書いているリビングで爆睡している母。今日は遠くから孫と兄たちが来る予定だ。
母との因縁
まだまだ、バトルは今後も続くであろうが夏から秋になる空高い秋の入り口にラジオから流れるメロディが休戦を伝えている
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