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「星座になれたら」の歌詞は虹夏・山田の成分を多分に含んでいるんじゃないかという話
結束バンド、人気ですね
嬉しいです
はじめに
この記事はぼ喜多成分多めの曲 (Fig. 1) として解釈されている「星座になれたら」は実は虹夏・山田成分が多く含まれているんじゃないかという解釈と称した妄想を書き連ねた記事です。
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虹夏・山田の可能性
星座になれたらは濃厚なぼ喜多回である12話で初披露され、Lyric Videoでも喜多が描かれておりそのまま受け取ればぼ喜多なのは間違いないと思います。
しかし、歌詞は事前に作られているものであり、文化祭以前における後藤ひとりの一大イベントは虹夏へのギターヒーローばれ、メンバーの結束バンドへ託す思いを知ったことではないでしょうか。
友達がいない人間にとって秘密や思いの共有は特別な出来事であり作詞できる人間だったら歌にするんじゃないかという考えから、今回は星座になれたらをぼ虹として歌詞の考察を試みました。また、月の描写は明らかに山田との作詞回の話だと思ったのでまとめて書きます。
時計と何億光年離れたところ(虹夏成分)
まず、1,2番で共通する「もうすぐ時計は〜時」という表現と「何億光年離れたところに〜」という表現についてです。
1番では「もうすぐ時計は6時」、2番では「もうすぐ時計は8時」という表現がなされており約二時間の時間の経過とともに、輝く星への言及が「何億光年離れたところからあんなに輝く」から「何億光年離れたところにはもうないかもしれない」へと変わっています。
私は、この二時間の経過を作中における二か月の経過と解釈すること、そして輝く星をギターヒーローとして捉えることができるのではないかと思っています。
そのように考えるのは「もうすぐ時計は6時」は5月末、「もうすぐ時計は8時」は7月末として捉えるとどちらも後藤ひとりが虹夏とであった時期 (Fig. 2)、オーディションが行われた時期 (Fig. 3) と合致するためです。
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ぼっち・ざ・ろっく!1 1話より
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ぼっち・ざ・ろっく!1 9話より
5月中旬以降では虹夏が公園に佇む後藤ひとりを勧誘した後、ライブハウスへ向かう途中で後藤ひとりがギターヒーローであることはつゆ知らずギターヒーローについて気になっている、一緒に演奏したい (Fig. 4) と言及しています。
これは虹夏にとって遠い世界にとても優れたギタリストが存在し、それに対してある種の尊敬・願望を抱いていると受け取ることができ、ギターヒーローを輝く星とみなすことでこの状況を1番の「何億光年離れたところからあんなに輝く」に対応させることができます。
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ぼっち・ざ・ろっく!1 1話より
7月末のオーディション回では、後藤ひとりにとってのバンドをやる理由が固まりはじめそれまでのパフォーマンスとは一線を画すパフォーマンスを披露していました。そして、その演奏をみた虹夏は何やら気づいた様子 (Fig. 5) を見せています。その後の台風ライブで確信へと至るわけですがこの段階では、虹夏の中に後藤ひとりがギターヒーローかもしれないという可能性が生まれた状態であると認識するのが正しいと思います。
そのうえで「何億光年離れたところにはもうないかもしれない」というフレーズを改めて見てみると遠い世界の存在だと思っていた輝く星であるギターヒーローが身近にいるかもしれないという状況とよく合致すると思います。
個人的にこの「かもしれない」という表現が期待と不安の両方を孕んでいそうで非常に好きです。あと、なぜ後藤ひとりが虹夏の「かもしれない」という気持ちを歌えるかという点についてですが描かれていないだけでギターヒーローばれした際に、いつ気づき始めた、疑問を持ったのかというところが話題に出れば書けるかなと考えています。
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ぼっち・ざ・ろっく!1 9話より
虹夏視点が含まれているんじゃないかという提案したので、1番の「いいな君はみんなから愛されて」、「「いいや僕はずっと一人きりさ」」という掛け合いも虹夏成分を含んで解釈しようと思います。
この掛け合いは虹夏の言葉がきっかけとなってギターヒーローとして求められていることを知ったことで、ギターヒーローとしての後藤ひとりと現実の後藤ひとりのギャップに苦しむ描写じゃないかと考えています。ギターヒーローの後藤ひとりは登録者やファンを抱えているのに対し現実の後藤ひとりはバンドを組むことができていないことが強調された形になり生まれた心の葛藤あるいは虹夏のギターヒーローへの言葉を現実の後藤ひとりが否定していると捉えることができるのではないかと思います。
夜広げて描こう絵空事(虹夏成分)
頻出する「君と集まって星座になれたら」表現は誰が願っているのかなかなか難しく、自信がなかったりこじつけに近いので解釈は他の方にお譲りします。
しかし、一か所「君と集まって星座になれたら夜広げて描こう絵空事」は13話の打ち上げでの虹夏とのやりとりで虹夏が抱く本当の夢を知ったこと、後藤ひとり自身が描く夢を初めて告白したこと(Fig. 6)に対応すると考えて間違いではないと思っています。
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ぼっち・ざ・ろっく!1 13話より
月が綺麗で泣きそうになる (山田成分)
2番では「月が綺麗で泣きそうになるのはいつの日にか別れが来るから」というフレーズが出てきます。月と別れがセットになってくると竹取物語、かぐや姫を思い起こしますが、結束バンドとして、後藤ひとりに起きたイベントとして「別れ」に対応しそうなのは山田が過去に所属していたバンドから抜けたこと、最終的にそのバンドは解散したことを作詞回で告げられたことではないでしょうか。そう考えると「月」は自然と万人に受け入れられるような売れ線を狙ったバンドを指すことになります。あと、月は自身は光らず太陽光を反射しているので個性を捨てた死んだバンドとして捉えることができるかもしれません。
そういった観点でみると、「だから集まって星座になりたい」という歌詞は存在感は月に劣るかもしれないけれど自分自身が光を放つ星であること、それらが集まる星座としてバンドをやりたいというのは山田の気持ちがかなり詰まっていると思えるのではないでしょうか。
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ぼっち・ざ・ろっく!1 8話より
上記記事中の「」は、
星座になれたら 作詞:樋口愛 作曲:内藤英雅 編曲:三井律郎より引用
終わりに
なぜ「6時」と「8時」なのだろうというところから始まった妄想でしたがどうだったでしょうか。
都合がいい一部を切り取っての考察なので無理があるのでは?といった意見やここはどう解釈するんだ!という意見があるとは思いますがこねくり回して無から有を生み出すのが好きなのが人間というものだと思うので許してください。
この妄想を読んでいただき、もっといい解釈あるという方はぜひ文章として書きあげていただけると嬉しいです。
アルバム「結束バンド」良曲ぞろいなのでCD買って、あるいはサブスクで聞きましょう!