藤井風という、確かなツール
~Billboard JAPANインタビュー「藤井 風の配信ライブから考える “Free”と“HELP EVER HURT NEVER”」を読んで~
9月末の秋風が窓を吹き抜ける気持ちのいい朝、Billboard JAPANのインタビュー記事を読んだ。今まで読んだどの記事よりも、風さんの深いところにある気持ちを知れたように感じて、うれしくて仕方がない。
まずはインタビュアーのMariko Ikitakeさんにお礼を。素晴らしい記事をありがとうございます。
このインタビューの中で、noteに記録しておきたいと思うほど心臓めがけてピンポイントで飛んできた矢は、「藤井さんから与えてられてばかりですが、藤井さんは何を糧にされているのでしょうか?」という質問からのやりとりだ。
わたしも日頃からよく考えていた。風さんの歌うことの原動力ってなんなんだろう、と。
2020年9月の報道ステーションで「誰かがちょっとでもいい気分で人生を送れたりするために音楽をやとるようなもんなんで」という回答はもらっていた。でも、それだけでは到底言いあらわせない情熱や信条みたいなものがあると思う。
Artist on the Riseの「歌う人になりたかった」という言葉にしても、なぜピアニストよりも歌う人になりたかったのか、というところまでは見えない。
歌手になることを目標に据えることは、ものすごい熱量がいることだと思う。果たして、ずっずさんという素晴らしいパートナーに出会い、今の位置に到達した風さん。
一度も歌手になりたいと思ったことがないわたしは、どんな気持ちで風さんが歌を届けてくれているのか、まったく想像がつかない。そんなこと考えずに、ただ楽しめばいいというのもわかるんだけれど、ふだん風さんがいう「曲は上から降ってきたもの」「ギフトだと思ってる」という言葉や、とてもスピリチュアルな精神性を知っているから、歌う人になった今どんな気持ちでいるのか、もう少し深い部分を知ってみたかったのだ。我ながらヘンなこだわりだな。
それに、風さんってカッコいいじゃないですか。
(突然、何言い出すんでしょう)
視線ひとつ、仕草ひとつにときめいて、
甘く響く声にどきどきして、
かわいくてたまらん、と悶えて。
こんな楽しみ方で、風さんがしたいこと・伝えたいこと・歌う人になって届けたかったメッセージをちゃんと受け止められてるんだろうか、なんて気持ちが、ちょこっと顔を出すこともあったりして。
でもインタビューを読んで、それでいいんだと思えた。
すごいなと思うと同時に、あぁ、そうなんだと腑に落ちて。
自分はただの道具であって、降ってきた曲をシェアしているだけです。
その機会を与えられているだけで完成しています。
なんかちょっと真面目すぎたり、重かったりするメッセージをいかにゆるく、軽く、カッコよく、カジュアルに伝えられるかを意識している気がします。
自分は上から降ってきたメッセージを伝えるためのツール。
大切だと思うメッセージを、ゆるく、軽く、カッコよく、カジュアルに届けていく。
風さんが思う形で届けていく。
カッコいい姿も
かわいい姿も
イケ散らかしたキメ顔も
モチモチの素顔も
全部全部、見せてくれるものは風さんの届けたい形だ。
カッコよさに痺れていようが、歌の尊さに震えていようが、どちらも風さんの届けたいものだから、どっち側の観客であってもいい。
好きなように、両方を行き来したっていい。
いい道具であり続けられる限りは精いっぱい、いい道具であろうと思います。この道具が錆びつかないようにお手入れしていこうと思っています。自分をアップデートして、いい楽器でいられるうちは、ずっと頑張りたいです。
風さんがよく言う「常により良い自分でいたい」という思いがここにも表れている。確固たる信条プラス前に進む意思。そして、自分をツールと認識する俯瞰的な視線。
風さんは強いぞ。
ちょっとやそっとのものには倒されない、軸があるぞ。
わたしは、その強さにも魅かれているのかもしれないな。
『へでもねーよ』の「確かなものにしがみついてたい」という歌詞を聴いていつも思うのだけれど、風さんはわたしにとって確かなものの1つだ。
愛しかなくて、あったかい。
自分を削って与える人じゃなくて、自分からあふれ出たものを分け与えてくれる人。
だから安心して寄りかかれる。
一生モンのツールとして、大切にしていきます。
いや、させてください!