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2020年:ドランとノーラン/ノーラン編①

ついに年が明けてしまった…
世の中の人が昨年のベスト映画を挙げ終わっているにもかかわらず、未だ一昨年(2020年)の映画を追い続けていて、時空が歪んでいるようである。
2020年の映画まとめはこれでようやく終わり。

さて、時を戻して一昨年の映画界隈における一大トピックスといえば、「TENET」の公開だったのではないだろうか。
2020年といえば、年が明けてから徐々に某ウイルスが世界中に広がり、3月ごろにはあっという間に人が集まるような場所は次々に閉鎖された。(真っ先に標的になったのは他でもないライブハウスだった)
映画館も例外でなく、日本においては再開が比較的に早かったものの、しばらく劇場が開かない期間があった。
公開予定だった映画は次々と延期になったり、劇場公開よりも先行して配信が始まったりと、映画の供給自体が不安定となった。
「007/NO TIME TO DIE」に至っては、当初の公開予定から4度も延期を繰り返し、個人的には丸2年ほど予告を毎週のように映画館で見続けた。昨年中に観れてよかった。

そんな調子で劇場閉鎖と新作の公開延期が続くなか、年内の劇場公開を実現させた大作といえば、クリストファー・ノーラン監督「TENET」である。
このノーラン監督、劇場公開に強いこだわりがあり、本人に相談なく 劇場公開と同時に配信を決定したワーナー(初監督作品から20年間も共に作品を続けている会社)に対し、関係解消を申し出るほどだったそうである。
そんな彼の“映画は劇場で”という強い信念により、「TENET」は公開延期が続く他の大作たちの先陣を切る形で劇場公開に至ったのである。
監督自らが映画ファンであるからこそ、我々のような新作の公開延期に落胆する日々を送る同胞たちを救いたいという気持ちもあったのではないだろうか。
そのおかげで「TENET」の公開は、我々に新作が公開される喜びを呼び戻し、映画館で映画を観ることの特別さを復活させる糸口となったのである。

さて、このクリストファー・ノーランという監督、ご存知かと思うが、渡辺謙やディカプリオが出演していた「インセプション」を撮った監督である。
しかし、この「インセプション」という作品、私はこれまで過去4回ほど鑑賞しては途中で寝落ちし、エンドロールでハッと起きるという愚行を繰り返していた。
つまり、作品を最後まで観れた試しがないのである。
夜な夜な家で観ていたという状況もあるのだが、途中で話がわからなくなりついていけなかったのも事実であり、その経験をふまえ私はノーランの難解な映画は向いていないのだと思っていた。

そんな状態での「TENET」公開。予告編を劇場で何度も目にしていたので面白そうだ、と思いつつも監督の名前が引っかかる。
閉鎖的になっていた映画界に現れたこれ以上ない起爆剤を前に、さて私は最後まで見ることができるだろうかと不安でいっぱいであった。

しかし、ノーラン克服への転機が訪れたのは「TENET」公開に先駆けて、ノーラン特集として過去作が映画館で再上映、しかもMX4Dという個人的にはまだ経験したことのない劇場体験の機会を得たことであった。
気づいた時には特集第一弾の「ダークナイト」の公開は終わっていたので、第二弾として上映された「ダンケルク」をまず鑑賞。
TENET・インセプションが2時間半あるのに対して、ダンケルクは1時間45分。
ノーラン節に慣れるためにはちょうど良いかと早速劇場へ向かった。

まず、MX4Dが何たるものか何も調べずに行ったのが悪いのだが、映画が始まる前からMX4D という未知なる鑑賞スタイルに驚く。ロッカーに荷物を入れる、蓋付きの飲み物しか持ち込めない、ポップコーンは溢れたり濡れたりするなどの説明を受け頭の中はハテナだらけであった。
緊張でフード類を買い損ねたものの、きちんと荷物を預けて無事に着席。足が床に届かない。そしてここから怒涛のMX4D効果に衝撃を受けることになる。


ダンケルク 2017/イギリス・アメリカ・フランス・オランダ/106分

雑誌で紹介されていたからだろうとは思うが、昨年劇場で観る少し前にその存在を知り、観てみたいなと思っていた作品でもあった。
2017年の劇場公開時にはその存在に気付いておらず、おそらく観るつもりもなかったのだろう。
今はNetflixなどでも配信されているが、この頃は配信もなく、近所のレンタルショップにも置いていなかったため、良い機会であった。

ストーリーは第二次大戦における“ダンケルク撤退作戦”を、描いた実話ベースの物語である。
“ダンケルク撤退作戦”というのは、フランス侵略を推し進めるドイツ軍によって、港町“ダンケルク”の地に追い詰められたイギリス・フランス連合軍40万人を、イギリス本国へ撤退させるという作戦である。
これを、陸、海、空の三視点から描き、それぞれが奮闘する状況を淡々と映し出した作品である。
というあらすじではあるが、私は前情報も全く入れず いきなり映画を観たがために、訳もわからず戦場の中へほっぽり出されるような状況で鑑賞した。

まず驚いたのは、MX4Dの効果である。映画は兵士たちが街を歩いているシーンから始まるのだが、自分も歩いているように座席が小刻みに揺れる。銃が発砲されれば背中にドッという刺激がくる。挙句、水に飛び込むシーンでは顔に水がふっかかる。
そのおかげでおちおち寝落ちする可能性は皆無となったが、こんな装置のついた座席が映画館の中にあったのかと驚いた。
一つ残念だったことといえば、本来、頬あたりに水が掛かる仕様なのだと思うが、私は身長が低い故、発射された水は私の目を直撃する。さらに私はコンタクトレンズのため、レンズが取れてしまわないかとヒヤヒヤ。コンタクトは無事だったが、終始タオルが手放せない状態での鑑賞スタイルとなった。タオルを持っていないと落ち着かない性格が、思わぬ功を生んだ。

そして、MX4Dの効果にも慣れたのも束の間、今度は作品のストーリー展開に驚かされる。
陸、海、空の視点で描かれているため、主人公は一人ではなく、それぞれのセクションに中心となる人物が設定されている。陸は若いイギリス軍の兵士、海は救助に向かう小型民間船に乗る親子と息子の友人、空ではイギリス軍のパイロットである。
説明もなく、無愛想に各々の状況を映し出すような構成ではあるが、セリフの端々で事態は飲み込めるので、作戦の全体的な内容や、それぞれの置かれる状況は理解できる。

中でも陸・海・空のうち壮絶なのは、“陸”セクションである。
このセクションに至っては、登場人物も多く、場面展開も多い。のんびりと救助を待っているだけでは済まされない戦場のリアルさがここで表現されている。
登場人物は生きるか死ぬかのラインど真ん中に立たされており、無駄なヒロイズムも、必要以上の奇跡も排除し、各々生き延びるための切実さが克明に映し出されている。
さらに、それぞれの登場人物における心情の解釈もなく、淡々と第三者的な目線で描かれているため、自然と映画を観ている自分もその場に置かれているような感覚になるのである。
先の見えない暗闇を、黙々と突き進むしか道はないのだと。

また、この映画の肝となっているのは“視点”だけでなく、“時間”の存在である。
各視点が同時に進んでいると見せかけ、“陸の1週間”、“海の1日”、“空の1時間”という異なる時間軸でそれぞれを描き、同時に結末を迎える仕組みとなっている。
ダンケルクの場合は後の「TENET」のように時間が逆行したりしないので(笑)理解しやすく、異なる時間軸が交わる瞬間は鳥肌ものであった。

この作品は、前述の通り約100分である。
しかし、観賞後の疲労感はとてもその程度のものではなく、3時間くらいあったのではないかと思ったほど重厚な映画体験であった。

個人的な感想といえば、明度が低めで青みの強い画面作りがとても好みで良かった。
また、爆撃や水中のシーンなど、CGに頼らない映像によって作り出される臨場感は画一であった。
そして、しっかりと映し出される俳優たちの表情は、セリフ以上にさまざまな感情を物語り、それぞれが抜群の存在感を放っていた。
映画のメインである若手の兵士役は主にオーディションで選ばれ、殆どが新人俳優とのこと。訳もわからず戦場に放り込まれた若者を演じるにおいて、“本物の未熟さ”を持つ新人俳優を起用したとノーランは語っている。
中でも陸セクションの中心、フィン・ホワイトヘッドが良かった。(個人的には顔も好みである)
時々の状況を即座に理解し、判断し、行動の全てを自身で決めなければならない状況にいる主人公の迷いを、隠さず表現する表情が現実味を帯びていて、作品に没入できる大きな手がかりとなった。

そもそも個人的に戦争映画といえば、小・中学生の夏休み中の登校日に、内臓がドッと出たり、肉片が飛び散ったりするタイプのものを毎年見せられていたためかなりトラウマがあった。
しかし、ダンケルクに至っては、戦争映画ではあるものの、グロい表現もなく、あまり気負いせずに観ることができて良かった。
戦争映画において“殺すか殺される”戦闘シーンが主軸ではなく、戦争下において“生きる”ために逃げることを軸にした物語であることも新鮮であった。
作品を通して詳しい説明がなかったり、淡々として記録映画のような印象の映画であったが、観終わった後に感じる疲労感、そして同時に残る柔らかな希望の描き方に、ノーランの優しさを感じる映画であった。


ダンケルク観破の勢いにMX4Dの味を占め、しばらくして次はノーラン特集第三弾「インセプション」を鑑賞。
一方的ではあるが、ついに因縁の対決である。


インセプション 2010年/アメリカ・イギリス/148分

観れた!最後まで観れたぞ!
観終わった後の感想としてはこれが一番だった。
例の如くMX4Dでの鑑賞であったため、数々の振動、相変わらず目に直撃する水、そして映画館ならではの良い音響が功を奏し、眠気が生まれることなく最後まで観ることができた。
最後まで観てみると、これまでの私は、映画を見るたびに登場人物たちと一緒に夢の階層に落ちていたのではないかなどと思ってしまった。
それは、寝落ちした後なぜかエンドロールでいつも目覚めていたその度に、画面から流れていたのは劇中で目覚めのサインにもなっているあの曲だったからである。

この映画における“インセプション”とは、他人の夢に入り込み、入り込んだ先の人間の意識に”アイディア”を埋め込む行為を指す。
主人公たちは、人が一度は体験したことがあるであろう「〇〇が夢に出てきた」という現象を人為的に作り出し、その”〇〇=夢に出てきた人“として他人の夢に入り込むのである。
初めて映画を見た時、ここまでは理解することができた。しかし、複数人が一人の夢を共有し、夢の中の人の夢の中という「夢の階層」ができるという概念がどうにも理解できず、頭で整理している間にどんどん話が進んでしまって、脳がお休みモードに切り替わってしまっていた。
これこそが真夜中に見るべきではないポイントであり、最終的に寝落ちてしまう大きな要因であった。

さらに理解を遠ざける要因となっていたのが「夢の中での5分は現実世界の1時間に相当する」というルール。この作品でも“時間”がキーとなってくるのである。
これが夢の階層ごとに適応されるので、映画を観ながらいちいち計算していると私のような文系人間はどんどん置いていかれ、さらに話が追いつかなくなってくる。「夢の中の方が時間のスピードが速い」という理解が限界である。
他にも「インセプション」の中には様々なルールがあり、それを証明したり徹底的に解説するサイトもたくさんあるのだが、読んだところで私にとっては未知の言語で話されているような状態なのでここで言えることは何もない。
ただ、この映画は実際、綿密に計算され作り上げられているということは納得出来るので、その設定をきちんと理解できないまま観ているのだと考えるといささか申し訳なくなる。

しかしながら、細かいところは省いても大筋が見えやすくできているので、ちゃんと起きて観てみるとかなり面白かった。
登場人物のバックグラウンドなどの細かい説明が無いにも関わらず、主人公のコブ、インセプションの依頼主であるサイトー、それぞれの“目的”がハッキリ描かれているため、それさえ見失わなければ退屈しない。
また、“夢”という不確実ながらも 誰もが確実に経験したことのあるツールにより、フィクションをリアルに感じることができる巧みな物語であった。

また、何より圧巻なのはその映像である。
劇場体験を優先する監督なだけあり、画面に映るものも徹底的に「リアル」にこだわる。
実際に廊下を回転させたり、信じられない量の水を建物内にぶちまけたり、夢であるからこそできるような世界を、CGではなく現実に作り出して撮影しているのである。
ロケ地一つに至っても、日本、イギリス、フランスなど、さまざまな国で実際に撮影しているのも恐ろしい。コロナ禍になってしまい、国外の行き来が難しくなった今となっては、実現不可能なのではないかと思うほど、登場人物たちはあらゆる場所に現れている。
ゆえにその映像がどんな設定よりも物語に圧倒的な説明力を持ち、唯一無二の劇場体験を生み出しているのである。

そして、極め付けはラストシーンである。
このラストシーンのために他の全てが作られたのではないかと思うほど衝撃的なラストカットは圧巻であった。さまざまな憶測を生み、誰もが忘れられないようなこのシーンを、これまで何度も見逃していたのかと思うと、もはや「なんてもったいないことをしていたんだ」という感情しか湧いてこない。
普段は(あの映画 最後どうなったっけ?)と思うことが多いのだが、これは一生忘れないだろう。それくらいシビれる終わり方であった。

こうしてMX4Dの恩恵を受け、最後まで観ることができた。
本当によかった。ありがとうMX4D。

これ、10周年記念の特別予告だそうだが、ここからさらに2年経過しているのでかなり前の映画であることがわかるし、10周年が「TENET」の公開と被っているという2020年はノーラン的にも記念すべき年だったんじゃないかなぁと思う。

そして、とうとうこの日がやって来る。「TENET」公開である。
「TENET」のことまでまとめて書いていたのだが、文字数が8000字を超えてしまったので、ここで一旦切ります。

ノーラン編②に続く。


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