2014/08/22 Robert Glasper Experiment - Billboard Tokyo -DAY 3, 2nd Stage-
まだヒューストンにいた頃のとある晩、友人に連れられて、僕は生まれて初めてジャズクラブを訪れた。
大人が行くようなイメージを抱いていた場所に踏み入ることへの不安と、なんだかひとつ大人になったような気分とが混在して、とにかく僕は気を張っていたわけだが、フロアに足を踏み入れるなり思わず身を強張らせたのは――その様を見て友人がけらけら笑っていたのをよく覚えている――必ずしもそれが原因というわけではなかった。
ステージ中央のマイクの前にはひとりの黒人女性が立っており、スポットライトを一身に浴びるその出で立ちはまさに、僕がそれまで想像していた"ジャズシンガー"そのものだった。ルージュを塗った厚い唇から漏れるスモーキーな声が、まるで誘惑するみたく艶めかしく肌に触れてきて、その響きに僕は硬直してしまったのだった。ヒトの喉からこんな音が出るなんて!
この出来事だけで終わっていれば、それは「アメリカのジャズクラブに行った」という経験談で話は終わるのだが、この話にはわざわざ今ここで書き記す程度には後日談がある。僕の記憶が確かならそれから2週間後の週末、別の知人に連れられて訪れた近くの教会で、偶然、彼女に再会したのだった。彼女は聖歌隊の一員としてそこでも歌を歌っていた。
「ジャズシンガーでありゴスペルシンガーでもあるらしい」という感想は、特段の思いや疑念を抱かない程度には、両者に対して黒人女性のイメージ(偏見)が青い頭にぼんやりと形作られていたからか、案外しっくりきたというか何とも思わなかったのだが、そのとき僕の興味を惹いたのは彼女よりも、ピアノの前に座っていた黒人の少年の方だった。
少年とは言っても、歳は僕より上であることが見て取れて、勿論、身体は僕より一回りも二回りも大きい。それなのに――これも偏見だが――鍵盤の上を滑らかに駆ける武骨な指が、僕の華奢な指では弾きようもない繊細な音色を奏でてみせ、いつの間にか僕の脳裏からシンガーの存在を消し去っていた。素人にも瞬時に異質と分かる才能の類のそれ。
後で知ったのだが、実は彼女の息子だったこの少年こそが、何を隠そう後のRobert Glasperだったのである。
* * *
ふざけたフィクションはこれくらいにしておいて、発売から暫くして、昨年あたりに『Black Radio』を聴いたとき、あまりの格好良さに衝撃を受けてすぐさま来日公演の情報を探してみたら、ちょうど同アルバムのツアーで来日した直後で、また衝撃というかショックを受けた。
暫く来日はなさそうだなあ……と沈んでいたのも束の間、そう経たないうちに『Black Radio 2』が発売され、椅子の上で跳んで喜びながら「今度こそは来日公演に行くぞ!」と意気込んでいると、届いた知らせはまさかのサマソニ出演決定の一報。
既にPhoenixの出演が決まっていた後だったために、直感は悪い予想を閃いたわけだが、その予想通りPhoenixとは別の日の出演で、Robert Glasper Experimentとの邂逅は諦めざるを得なかった。サマソニに2日間行くために幕張まで足を延ばすには、気力と体力と資力に欠けた。
「どうやら彼らとは縁がないらしい……」と思いつつ「BillboardかBlue Noteかでやってくれ!」とSNSにアップした数瞬後、Robert Glasper ExperimentのBillboard Tokyo公演の一報が不意にタイムラインに現れた。川で洗濯をしている最中に、上流より流れ来る巨大な桃を目にした婆さんは、きっとこんな気持ちで見を瞠ったに違いない。
さて、次の問題は桃(チケット)を取れるかどうかである。最終日の2ndステージ(最終公演)を希望するのはやはり多くの人も同様で、一般発売を前に同ステージの空席状況には"×"の文字が据えられてしまった。しかし、そこで僕は希望を捨てなかった。一般発売日の朝にビルボードに問い合わせたところ「1名様であれば」ということで奇跡的に自由席を確保できた。やったよ婆さん。最早、桃から桃太郎が産まれたのか、奇跡の桃を食った爺さん婆さんが若返って桃太郎を産んだのか、どっちでもよくなるくらいには喜んだ。
思えば僕にとり、ジャズサウンドに嵌るきっかけを寄与し、以来、今後の音楽シーンにおいて"ジャズ"が"エレクトロ"に取って代わる重要な一要素足り得ると信じるきっかけになったのがRobert Glasperだった。そんな彼のライヴを初めて目の当たりにできるということで、僕のテンションはそれはもう鬼ヶ島に臨む桃太郎くらいに高揚していた。
鬼ヶ島もといBillboard Tokyoへ単身乗り込み、開演を待つ。サマソニ公式も騙されるくらい、センターのCasey BenjaminがRobertと勘違いされがちだが――と言ってもサマソニ公式写真は許されない――実際目の当たりにするRobert Glasper Experimentの面々は、やっぱりヘアスタイルも相まってCaseyが1番目立つのに加えて、RobertもラフなTシャツ姿なので、よく知らずに見れば無理もない感じだった。メンバーは皆、金棒要らずの鬼みたいにガタイが良い。犬、雉、猿を連れていても勝てそうにない。
ライヴはと言うと、そのガタイとのギャップのある繊細な演奏で、この上なく素晴らしいパフォーマンスだった。強いて言えば『Black Radio 2』のコラボ相手が豪華過ぎたのもあり、歌モノはCaseyのエフェクターを通した声の曲だけで少し物足りなかったが、そんな中、やはりというか、目を瞠って耳を惹いたのはRobertの動きだった。
動きと言っても、始終身体を動かしているわけでも派手なダンスをしているわけでもない。ただ、リズムを取っているのだが、その動きがどう真似しても演奏から拾えるリズムとどこかずれている。彼に合わせて首を振ったり身体を動かすと、どうも演奏と噛み合わない。もし一緒にバンド組もうものならリズムとグルーヴの不一致を理由に即解雇されてしまいそうだ――そもそも一緒にバンドを組むことなどあり得ないのでこの心配は杞憂だが。さておき、一体Robertの中にはどのようなリズムが刻まれていて、どのようなグルーヴが流れているのだろう。
そういうわけで、そういう部分にも彼の非凡さを感じられる良いライヴだった。ドラムの派手なスティック捌きにばかり歓声が上がるのが癪だったり、聴きたかった『I Stand Alone (feat. Common)』が聴けなかったり、アンコールもなかったりで物足りなさが残ったが、公演後にサイン会をやるというアナウンスに救われた。
物販に駆け込み、CDを2枚購入。サイン会にはRobertとCaseyがいて、「また日本に来てください」とRobertに伝えると「Thank you, me~n」とヒューストンに居た頃の思い出が蘇るようなブラザーな感じ(イメージ)で応えてくれた。が、表情は明らかに「早く帰りてえ」と言った感じで、これがAKBのメンバーだったら総選挙圏外だな、というくらいの塩対応だった。予め犬、猿、雉がその風味を知っていたなら、鬼退治に同行するのを躊躇する塩梅のきび団子。
まあ、そもそもRobert Glasperはアイドルじゃないし、アイドルなRobert Glasperなんか求めてないのでアイドルを見習う必要まったくないのだけど、取りあえず今は、最初に「川で洗濯」とか言ってしまったばかりに、全体的に桃太郎を散りばめなければならなくなった書き出しの自分を呪いたい。
ところで、明日のHerbie HancockのBLUE NOTE公演をなんとか観られないかと画策していたがやっぱり無理そうで(完売済)、そこに追い打ちをかけるように同氏の東京JAZZへの出演を今知って(完売済)、愕然としている。鬼ヶ島に到着したとき、きび団子なんかで鬼との戦いを安請け合いしてしまった犬、雉、猿はきっと今の僕と同じくらい後悔していたに違いない。