2013/06/05 James Blake - Live in Tokyo -DAY1-
普段、テレビでしか音楽に触れないような人にとっては不可解極まりないサウンドで、今や世界中で騒がれているものの、あくまでそれは音楽にそれなりの時間とお金を投資するくらい音楽に明るい人に限った話であり、かような一部集団における玄人の内輪受けと素人の「この音楽好きなオレ格好良い」みたいな慢心や自惚れ、虚栄が相まって神格化されている――
僕にとりJames Blakeとはそういう人物であり、音だった。
サウンドを優先するライヴを見るとき、本来であればPA付近に構えるのがお約束なのだが、折角前が空いていたのでご尊顔と190cm近い巨体を一目見ようと最前列にスタンバイ。すると開演早々にステージ下のウーファー(?)からディープな低音が芯まで響いてきて、深淵から発せられるようなノイズを浴びながら前列を選んで正解だったと思った。
巨躯を少しでも小さく見せようとするかの如く背を丸めながらリズムを取り、主旋律が不明あるいは不在であるように感じさせる歌とメロディは音源通り「難解」な印象そのままに爪弾いていく。しかしながら「この音楽が何故玄人受けするのか?」という点を鑑みるとなかなかどうして面白くはある。
一昨年、James Blakeが初来日した際にそのライヴを見たスガシカオがブログで絶賛していたが、「まだ地球上に、彼のあの音楽のジャンルがない」という彼の表現は言い得て妙だと思う。そもそもジャンル分けが困難化を辿る一方の昨今の音楽事情ではあるが、それでも大体は何かしらの既存ジャンルに当てはめられ、一応の収まりを見せている。
ところがJames Blakeに限っては(多分)〝ポスト・ダブステップ〟に収められているが、今日、生で聴いてみたら明らかにそれは〝ダブステップ〟という言葉を添えて、その延長線上に落ち着くような代物ではなかった。「あれは〝James Blake〟というジャンル」などとという虫唾が走るような比喩には逃げたくないので、何か上手いこと当てはまるものはないかと考えていたところピンときた。
――『キュビスム』
ジャンルで言えばポップやロック、バラード、ダンス、ジャズetc...、テーマで言えば愛、喜び、悲しみ、不安、怒り、喪失etc...、あらゆる音楽の側面の音像と音色を多角的に解釈――切り取りと言っても良いかもしれない――し、あのような独自のサウンドに仕上げている。すなわち彼のサウンドは、既存の音楽の概念の〝破壊〟ではなく、〝分解〟と〝再構築〟なのではないか。
しかもそれをあえて分かりやすい像と色で表わさない。具体性が見えないがために人々の注意を惹き、自ずと作品への解釈を喚起する。まるでピカソやジョルジュ・ブラックの作品そのものではないか。
キュビスム的解釈で見ると、彼の曲の部分部分に各種音楽のジャンルやテーマが見え隠れする構成にもしっくりくるし、サウンドの多面性にもぴったり当てはまる。
結論、James Blakeは音楽界の〝キュビスト〟である――という慢心と自惚れと虚栄に満ちた持論に悦に浸ったところで僕が言いたいのは、「明日見に行けるなら見に行った方が良い。但し、日常的、恒常的に音楽に触れる人に限る」ということ。(そうでなくても、ある程度アーティスティックな感性を持っている人であれば「何だこれは!?」的な楽しみ方はできるかも。)
良い意味で期待を裏切るライヴだったが、いやしかしJamesってホントにでかい。『Overgrown』というタイトルはそういうことなのか、と勘ぐってしまうほど背が高くて驚いた。
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