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墨国滞在記;Día 5(シティでの住まいと暮らし)
CEPEに入学してすぐに取り掛かったのは、家探し。
日本からホームステイ先を探すより、現地着いてからの方がなにかとスムーズだろうと、何も調べずにメキシコにやってきていた。
とりあえずは日本人宿「サン・フェルナンド館」で過ごしていたが、ドミトリーでこのままずっと生活していくのはしんどい。
なにより、メキシコにもっと馴染みたい。観光より深く生活に入り込みたかったので、家は必ず借りたかった。
CEPEに入学すると、CEPEのパソコンルームで賃貸情報を検索できるようになる。近くかつ安いところで探し、目星はついてきたが、ここからが問題だ。
わたしはまだ授業でスペイン語を習っていない段階だ。しかも、inciatíonのレベルだと認定され、要は挨拶くらしかまともに会話ができない。
なんなら英語もほとんど話せない。
本当は、電話でさくさく話を進めたかったのだが、電話での意思疎通は不可能なので、仕方がないので現地に行った。
が、1つ目のところはインターホンがどこにあるかもわからない。近くをうろうろして、諦めて帰った。
どこの家が、貸し家だったのだろう?
でも、家を見に行くために初めて降り立った駅は怪しげなおじさんがちらほらいたので、どのみちなしだったと思う。
次に、やはり先にコンタクトはとっておこうと、メールを送ってみた。
つたない英語でメールを送り、下見の日にちが決まった。そこは何人かの学生が1部屋ずつ借りている場所だったのだが、わたしの希望の場所はもう決まってしまっており、ここならまだ空いていると案内された場所は思ったよりも狭く、快適そうでなかったのでやめた。
3つめが、わたしがシティで4か月を過ごした家なのでが、ここは老夫婦が住んでいて、一室を間借りする形の賃貸だった。
メキシコの中流富裕層ぐらいだったのだろう。
大きな門の中に何軒か家が建っている。そのうちの一軒が、ベティとカルロスの家だった。
門には、門番のおじさんが付いていて、セキュリティもばっちりだ。
家主はベティとカルロスという老夫婦。賃貸に関してはベティが対応してくれていた。
ベティは英語の先生で、スペイン語を話せない学生の受け入れを今までもしていたらしい。日本人も昔いたよ、と話をしてくれた。もっとも、わたしよりもずっとスペイン語ができる人のようだったが。
カルロスもなにかの先生だったと言っていたような気がするが、忘れてしまった。知的なおじいちゃんな雰囲気はあるが、わたしに「禅」の話をスペイン語でしてきたり、なかなか空気は読めない。スペイン語わかんないんだって。
マリアというお手伝いのおばあさんが毎日来て、洗濯物や料理を作ってくれていた。マリアと洗濯場で出会うと、洗濯板で洗濯物を洗うわたしに、「もっとこうして洗うのよ」と板の使い方アドバイスをくれた。
家の近くにはスタバがあり、日本と物価が違うので安く、wifiもあるし、よく行って勉強をしていた。日本人からしたら安いと感じるコーヒーの値段も、メキシコの人からしたらやはりスタバのコーヒーは高いので、富裕層しかスタバにいないこともよく行く要因のひとつだった。外で気を張らなくていいところは意外と少ない。
入口には警備員がいるので、安全性はかなり高い。
しかし、この警備員、そんなにしっかり仕事をしておらず、外国人が珍しかったのか、わたしに声をかけて連絡先を交換することになった。今でもたまにmessengerでやり取りをする。メキシコの人はひとなつっこい。
食事に関しては、家では、冷蔵庫の2段目はわたしが使ってよいゾーンだったので、そこにアボカドなど野菜やチーズを入れて、自炊もしていた。 la comer(ラ・コメール)というスーパーマーケットが近くにあったのでそこで買い物をしていた。
ただ、メキシコの食材で作れるもののレパートリーが少なかったので、屋台で食べたりレストランに行ったりもしていた。
近場でお手軽な値段で美味しいお店を発見してからはよく食べに行った。
家の門の前の小さな商店の親切なおじさんや、朝通学するときの空気の冷たさ、自分の部屋のベット。大通りの排気ガスに、満員電車の人々の生き生きとした目。
懐かしい、わたしの暮らしたメキシコシティ。