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【小説】遠耳(えんじ)〜自分のレールを行け〜③

 大学生になった僕は周りに流されて極めて不真面目な学生になった。側から見れば、講義の時も前の方の席に座っていたし、至って真剣に講義を聞いているように思われたかもしれない。やはりそれも僕の耳があまり聞こえないからで、必要に駆られてしていただけのことだった。僕が進学した大学は早慶やMARCHのような偏差値の高い大学ではないので、学生たちも大講義室での講義の時は私語が止まなかったし、それによって講師が注意するために大声を出すこともあった。僕にとってはそのことが不愉快だった。講義は聞こえなくなるし、授業はしょっちゅう止まってしまうしで、苦痛以外の何者でもなかった。それでも、勉強に打ち込もうと決めたのは、中学時代に不登校を味わい、その後に進学した通信制の高校でも勉強に身が入らなかたからだ。通信制の高校の授業は主にオンラインで行われていたので、すぐに飽きてしまうとマンガやゲームに手が伸びてしまう。何より、オンラインで行われる授業は僕の耳にはとても聴こえにくかった。社会人になったそういう通信機器を介した音が「潰れた音」だと表現できる。固定電話のようなアナログな通信手段だとますます「潰れた音」になってしまい、聞き取りを困難にする。だが、大学生の僕にはそのような表現を持ち合わせていない。ただ、音が聞こえない、声が聞こえないとなるのである。
 そういうわけで、ただひたすら聴こえない講師の声の聞き取りを懸命に行なっていたある日、何気なく学生課の前の掲示板に目を遣ると、「ノートテイカー募集」とチラシに書いてあった。いつもなら素通りしてしまうような掲示なのだが、「耳の聞こえない人」という文言を見つけて、隅から隅まで見ると、これは僕のためにあるのでは思わせるような内容だった。聴覚障害のある学生に授業の内容を伝えるためのボランティア。すがるような思いで、学生課に駆け込んだ。
「すみません、ノートテイカーの看板を見たんですけど……」
「もしかして、ボランティアを希望されますか?」
 僕の姿を見るなり、女性の職員はそう返答した。
「いや、そうではなくて、僕にノートテイカーをつけて欲しいんです」
「はい?」
 職員が怪訝そうな顔をした。
「あの、ノートテイカーの援助を受けるには聴覚障害を証明できるもの、つまり障害者手帳とかお医者さんからの診断書は必要なんですね。そういったものはお持ちですか?」
 当時の僕にとっては青天の霹靂で、
「すみません」
 となぜか最初に謝ってから、
「障害者手帳も、診断書も持っていません」
 と答えるしかなかった。
「それでしたら、一度耳鼻科を受診されて、診断書をお持ちになっていただけますか」
 結局、病院に行かなければならないようだ。

 僕が耳鼻科を受診したのは、学生課に門前払いを受けてから一週間経ってからだった。幸い花粉症がひどくて、毎年通っている医院があったので、そこに通うことにしたのだ。
「あの、僕昔から声が聞こえないんですよ」
 かかりつけの医師は半分受け流すかのように、
「でも、私の声は聞こえるんでしょ?」
「はい、でもなんだろう? 高校の時はオンライン授業が多かったんですけど、その声が聞き取りづらかったし、大学の講義も私語があると耳に入ってこないんですよ」
 今度は首を傾げた医師が、
 「うーん、でも私語は聞こえるんでしょ? それだと聴覚障害に当たらないですよ」
 と言った。うんざりしながら、僕は大学でのノートテイカーの件を切り出した。そうすると、医師は重い腰を上げるかの如く、
「そういうことでしたら、一度聴覚検査を受けてみますか?」
 と言い、看護師に何やら指示を与えているようだった。看護師に案内され、別室に向かう。どうやら防音室のようだった。そこでヘッドホンみたいなものを装着し、聴こえてきた音に合わせてボタンを押した。いわゆる聴力検査というものだ。不思議とその環境に置かれると、高音も低音もよく聴こえた。普段もこのくらい聴こえたらいいのにと思いながら。
 検査を終え、結果が知らされる。異常なし。僕は拍子抜けし、その後の医師とのやりとりも投げやりになってしまう。
「大学の授業で私語が多いのは問題だね。あなたみたいな真面目な学生さんにとっては苦痛かもしれない。でも、それを私語のせいにするのは間違いだと思うんだ」
 今度は僕が首を傾げた。なんだかモヤモヤする。
 「僕が学生の頃は学生運動が盛んで講義どころじゃなかったんだよ。それを考えるとあなたはとても贅沢だと思う。検査結果を見ても難聴の傾向もないし、集中できていないだけじゃないかな」
 何が言いたいのかがはっきりと分かってくると、今度は憤懣やる方なくなってきた。白髪頭の医師は尚も話を続けようとしたので、
 「すみません、この後急ぎの用があるので、お話を手短にしてもらえませんか」
 と言い、話をぶった切った。当然、急ぎの用などない。

 泣きそうになりながら目の前のスーツを着た男に話しかける僕はかっこ悪いに違いなかった。夜十時のファミレス、客もまばらでところどころから話し声が聴こえてくる。
「それでどうしたの?」
「それでって、知ったかぶって説教すんなって……口に出しては言わなかったけど、すげえ腹立ったから話の途中で病院を出てやったんだ」
 スーツの男はニコニコしながら、話を聞いている。
 「いきなり呼び出されたから、何かあったんだなって。普段はLINEしても既読スルーするくせにね」
 「だから……こんな時、誰に話したらいいんだろうって思って、結局けいすけさんしかいなかったんだよね。大学には友達もいないし」
 けいすけさんはおもむろにネクタイを緩め、出てきたコーヒーを啜る。その姿を見て、僕は彼に抱いている憧れが大きくなっていくのを感じる。
 「まあ、俺も一人暮らしだし、時間には制限はないよな。しかも、社会人だからもしかして夕飯奢ってくれるかもしれない。そんなところまでお見通しだよ」
 図星とはまさにこのことだ。けいすけさんは続ける。
「冗談はさておき、話を聞くにつけ、その医者に腹が立ってくる」
「でしょ? 学生運動っていつの時代って話。今とは違うんだよ」
 そう言いながら、目の前のカルボナーラを口に運ぶ。ファミレスに男女の若者の団体客が入ってくるのが見えた。彼らは僕らのテーブルの二つ横に座り、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。
「#$%&`?>¥+@<」
 けいすけさんの話す言葉が届かない。彼の口は動いてるし、音声としては聴こえている。だが、意味のあるまとまった文章としては届いていない。僕はどうしていいか分からず、ただただ彼の唇を眺めていた。せめてもの読唇術のつもりだった。すると、けいすけさんは僕の横に来て、
「もしかして、聴こえてない? 」
 と尋ねてきた。いきなりのことだったので驚いてしまい、身動きを取れずに「うん」と言わんばかりに頷くしかなかった。けいすけさんはこれまでと変わらず笑顔を浮かべ、
「そうか、君の聴こえないってこう言うことなんだね」
 と納得したように呟いた。それから、スマホを触り始めた。
「ねえ、カクテルパーティ効果って知ってる?」
 突然そんなことを聞かれたので、戸惑ってしまった。
「えっ、なにそれ? 知らないよ」
 そう答えるしかなかった。
「脳科学に最近ハマっていて、その中で脳の機能としてカクテルパーティ効果っていうのがあるんだけど、話したい相手や聞きたい言葉は周りの雑音よりも聞こえるって言われているんだ」
「それがカクテルパーティ効果っていうの?」
 僕が難しいことを考えるのが苦手なのを知ってか知らずか、けいすけさんは無邪気な笑みを浮かべた。
「そう、僕も話したい相手の話はきっちりと聞こえるから、君の聞こえ方は想像でしか再現できないけど、カクテルパーティ効果が働かずに全ての音が等しく聞こえる……」
 彼には僕のことが手に取るように分かるのか? そんなことすら感じるくらい図星だった。
「本当にそれなんです。ってか、どうして分かるんですか?」
「分かるとか分からないとかそういうことじゃないんだ。想像力があるかどうかの話じゃないかな。まあ、僕の想像力はあんまり役に立ったことはないけどね」
 僕は思わず「すげー」と叫んでいた。僕の横に座るけいすけさんが思わず耳の穴を塞いだくらい大声だったようだ。そんなことも分からなかった。

 カクテルパーティ効果。ひとり暮らしの学生マンションに帰ってからも反芻していた。スマホで調べると、確かにけいすけさんが言っていたようなことが載っていた。僕には効かない効果。虚しくなってスマホを放り投げ、そのまま眠った。結局このことを知ったところで、自分の耳が聞こえるわけじゃない。

 二年生になると、疫病が広がりを見せた。講義は軒並みオンラインでと言うことになり、キャンパスに行くこともなくなった。ずっと家で引きこもる日々。これでは中学生時代に逆戻りだ。いや、その時はフリースクールがあったからまだ外に出る機会はあった。二年になったらバイトもしてみたいと思っていたが、碌なバイト先もない。収入は親からの仕送りのみ。そんな中で、節約を重ねてなんとか生活を送る日々。何より困ったのが、飛沫対策として設置されたビニールのカーテンやプラスチックの衝立の存在だった。例えばコンビニに行くと、バイトの店員の発する声がビニールカーテンに遮られて、聞き取ることができない。口元はマスクに覆われているので、口の動きから推測することもできない。結果、何度も聞き返すことになってしまう。店員が嫌そうな顔でもう一度同じ台詞を言う度、罪悪感に襲われる。なぜ罪悪感を感じなければならないのか分からないが、そう思ってしまったが最後だった。結局、聴こえたふりをしてしまうという悪癖が身についてしまう。ところが、聴こえたふりをすると、必ず痛い目に遭うことも身を持って体験する羽目になってしまった。
 オンラインで講義を履修し、レポートを提出すれば単位が取れるという局面になって、提出日が聞き取れなかった。気軽にそう言ったことを聞ける友人もなく、僕は途方に暮れた。その結果として、提出日を過ぎてしまい、単位を落とすことになってしまった。それが必修でなかったからよかったものの、それ以降は周囲の視線を気にせず、分かるまで尋ねることにした。

 そんな調子だったから、就職活動もなかなか上手くいかなかった。就活が始まるまでにコロナ禍は収まるだろうと、楽観的に見ていたのがよくなかった。結局、どんな場面でもオンラインが多用され、企業の説明会から面接、しまいには内定式に至るまで全てがパソコンの画面越しで事足りた。僕はというと、大学の就職情報センターも活用できず、SNSの情報が頼みの綱という状態だった。とはいえ、その情報も玉石混交で真偽が定かじゃないものも多かった。売り手市場という中で、僕は四年の七月まで内定が出ず、焦りも頂点に達していた。
 そんな時、けいすけさんに就職のことで相談に乗ってもらった。外出もままならない中で、けいすけさんとは直接会う機会も少なくなり、LINEでのやりとりがメインになっていた。けいすけさんからの電話が来たのは、そのような状況に嫌気が差し始めていた頃だった。
「よう、元気か?」
 声はいつもの調子だった。
「元気じゃないですよ。こっちは就活でヘトヘトになってるんですから」
「……そっか」
 言葉を発するまでの間には、いつものけいすけさんとは違う何かが感じられた。ただ、その時の僕はその嫌な予感に抗いたくて、また受け止めるだけの余裕がなくて、
「今まで一社も内定もらえてないんだよ。この超売り手市場の就活戦線で! そんなの惨めじゃないっすか。もう、嫌になってくるよ……」
 と早口で捲し立てた。ひとしきり話した僕は息が切れていた。
「しばらく、話していないうちに内定が決まっているかと思ったけど、世の中厳しいんだな」
 そう言った声色がひどく呑気なものだったので、苛立ってしまった。
「俺はどうしたらいいんすか? どうやったら就職できるんすか? けいすけさんとは違ってボランティアの経験もないし、優秀でもない俺はどうしたらいいんすか……」
 僕はとうとう泣き出してしまった。洟を啜り、時にティッシュで鼻をかみながら、電話越しに必死の思いで叫んだ。
「俺だって、就活では苦労したよ。ボランティアをしてたからって、それが決定的にプラスになることはないよ。ただ、愚直に進んでいくだけだったし……」
 けいすけさんも涙声になっているようだった。電話越しなので表情までは読み取れないが、きっと涙を流しているのだろう。そんな状態でも自分の経験と重ね合わせて、就活のコツを教えてくれた。彼はしきりに「すまない」と言いながら、アドバイスを重ねていく。どうして謝っているのか疑問に感じながらも、禁断の扉を開けてしまうような気がして、それを尋ねることはできなかった。
 一通り伝授が終わると、けいすけさんが話を切り出した。
「あのな、今日電話したのは別の用事があってのことなんだ」
 予感が当たりそうな気がする。きっと悪い方に。
「実は転勤が決まったんだ」
「……」
 無視をするように黙り込んだ僕。そんな状況もお構いなしにけいすけさんは続ける。
「と言っても、海外とかそんな絶望的に遠くなるようなところじゃないよ。札幌だ、北海道のね」
 北海道。僕にとっては、絶望的に遠い場所に思えた。いろいろと尋ねたいことは山のようにある。でも、言葉が出てこない。かろうじて発することができたのは、
「いつ東京に戻って来れるの?」
 という愚鈍で、ピントのズレた質問だった。けいすけさんは、困ったかのように黙り込み、
「盆と正月には東京に帰るし、ちょっと会えないだけだ」
 まるで恋人同士の会話だのようだ。我ながらおかしくなって、吹き出しそうになった。ただカップルみたいな関係ではないので、ついて行くことは考えられない。
「なんだか、この会話恋人同士の会話みたいだな」
 けいすけさんが言うと彼は笑い出し、僕もそれにつられて笑った。
「まあ恋人もいないから、身軽なもんだけどな」
「大丈夫。俺も恋人いないから」
 そんな軽口を叩けるのもけいすけさんだからだ。そのけいすけさんが気軽に会えないところに転勤となる。しかもこのコロナ禍にだ。疑問やモヤモヤがマグマのように湧き出る。しかし、その思考を遮るように、
「#$%&’()(?><@」
 と言う声が聞こえた。「今なんて言ったの?」喉の上の方まで込み上げてきたところで、そいつは引っ込んでしまった。なんでこの期に及んで聞こえたフリをしなければならないのか? 
「分かった」
 そう言ったが最後で、「じゃあな」と彼は言い、電話は切れてしまった。悔やんでも悔やみきれない想いに駆られ、僕はひとり佇む部屋で嗚咽を漏らした。誰にも慰められることのない部屋で。

 翌年の春、僕は新卒として中堅の商社に入社した。無事にというべきだろうか。無事にというには、あまりに道のりが長過ぎた気もするが、そんなことは構っていられない。入社式を終えて、すぐにオリエンテーションという名の研修が始まる。前に上層部や先輩社員が立ち、入れ替わり立ち替わり講義をしていく。講義者はマイクを使って話をするので、概ね聞き取りやすかったが、たまに聞き取りにくい人もいた。そういった時には目の前に映し出されるパワーポイントの資料を見ながら、どうにか理解をしていくことができた。しかし、最も苦労したのはグループディスカッションだった。六人ずつに分けられ、コンプライアンスについて討議して行くというものだったが、やはり討議している人の声が重なると、繊維が捻り合わさって糸になるように、音の塊となって聞こえる。つまり、内容が理解できないのだ。係の割り当てもあったのだが、書記なんて理解もできていないので、できるわけがないと最初から除外した。結局タイムキーパーの役割に落ち着いてホッとした。この場では聞き返すことなどできない。聞いているうちに議論はどんどん進んでいき、訳が分からないまま、司会担当の同期に「何か意見はありますか?」と質問された。僕は一瞬天を仰ぎ、
「あ、あの」
 と妙に吃りながら、当たり障りのない意見を述べた。周りの同期は明らかに「議論が噛み合っていない」と言いたげに黙っていた。僕の発言が終わると、何事もなかったように元の議論に戻っていくのだった。それ以降、僕に話が振られることはなく、タイムキーパーの仕事に徹した。
 オリエンテーションを終えると、僕は営業職に配属となった。配属された部署の上司に紹介され、皆の前で自己紹介をしても晴々しい気持ちにはなれなかった。他の新入社員が華々しく見える。きっと聞こえで困ることもなく、これから営業として躍動していくのだろう。僕は数少ない自己肯定感を削がれてしまった。
 僕を含めた新入社員はそれぞれがチューターと呼ばれる先輩社員とコンビを組み、手取り足取り教えてもらう。その中で、戸惑ったのはメモ禁止ということだった。事前にマニュアルは配られたが、手書きのメモを取るのは機密事項の漏洩に繋がりかねないという理由で御法度とされた。もちろんスマホのカメラで写真や動画を撮るのも駄目で、それらに慣れきった新入社員たちはたまに会うと、愚痴をこぼしていた。僕などはその際たる例で、元々メモを聞きながら書き取るのは不可能だったので、スマホで写真や動画を撮ることによってなんとか学業をやり過ごしてきただけに、それらの措置は激痛そのものだった。仕事が覚えられず、要領も悪い。チューターになっている先輩社員の機嫌が明らかに悪くなっていくのが見えた。ある日、僕がいないと思ったのか、「あれはババを引いたよな」などと、愚痴をこぼしていたのを聞いてしまったことがある。とても気まずくなり、お互いがお互いを避けるようになった。
 そんな時に話しかけてくれたのが、先輩社員の水野だった。
「よう、元気してるか?」
 ネクタイをだらしなく緩めている彼は、上司の再三の注意も上の空で聞いているような社員だった。
 「先輩を困らせているみたいだな」
「……」
 言いたいことがあるのをなんとか抑えて黙っていると、
「おいおい、先輩が話しかけているのに無視しちゃうわけ?」
 と言われた。
「すみません、そう言うわけじゃないんです。なんて返せばいいかを考えていただけです」
 そう取り繕うのが精一杯だった。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだけどな。俺だって、先輩を困らせてばかりいた……いや、今も困らせているかな。営業成績だってさっぱりだし、いつまでここに居させてくれるやら。でも、俺は最低限の仕事をやって、それ以外のことには関わらないようにしているからな」
 そういえば、水野が残業しているところを見たことがない。この男は常に定時で帰っていると言う印象しかない。残業をしていると、時々水野の話題になる。その時は大抵悪口から始まるのが常だった。「仕事ができない」とか「営業のお荷物」だとか、しまいにはプライベートのことにまで根も歯もない噂が飛び交っていた。
「あの、でも……」
 僕がそう言いかけると、水野はそれを遮って言った。
「周りはいろいろ言うかもしれないけど、気にするだけ無駄さ。あいつら、俺の悪口を言っているように見えて、実は俺に嫉妬しているんだよ。いつも五時には帰っているし、趣味のこともSNSにあげているからな。他の奴らは仕事にあくせくして、周りが見えていない。そうなるのは御免だね」
 顔を見てみると、飽き飽きしたような渋い顔をしている。どうしたらいいか逡巡していると、水野は
「電話応対が苦手なんだってな。あんなもの適当に話を合わせて、最低限のメモだけ取ればいいんだ。あんなことに気負う必要はない」
 と言い放った。僕は思わず、
「水野さんの言う『あんなもの』に私は振り回されているんですよ。僕でも電話の声が聞こえたら、先輩を困らせたりしませんよ」
 と呟いたが、彼の耳には届いていないのか、そそくさとその場を立ち去っていた。自分で言っておいて、さっきの台詞は負け犬の遠吠えだなと思わずにはいられなかった。

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