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田中真紀子、正確には田中眞紀子と書くそうですが、今日はこの方の「とんでもなさ」について、書こうかと思います。
旦那さんの田中直紀(元防衛大臣、現越後交通の代表取締役社長)も、少なくとも政治家としては「とんでもない」人でしたが…。

2015年とか、2016年とかくらいですかね、父親である田中角栄元首相があらためて書籍などでとり上げられることが多くなりましたね。
3代目は政治家にはまったく関心がないようなので、政治家としての家系は2代目で終わっちゃうかもしれませんね。

実際に私が目撃してきたことではありませんから、どこまで真実かはわかりませんけど、話半分としても、なかなかすごいもんです。

「なんで私が(外務大臣に)なったばかりの時にこうなるのよ! も〜、どこの国でもいいからとっとと出してよ。私が言ってるんだから早く出しなさいよ! 早く、早く、早く、マスコミに知られないうちに早く出しちゃいなさいよ!」

小泉内閣発足に伴い外務大臣(2001年4月26日~2002年1月30日更迭)に就任しましたが、ワガママ、傲岸不遜ぶりは凄まじかったそうです。
就任直後の2001年5月1日、北朝鮮の金正日の息子、金正男とその一行がドミニカ共和国の偽造パスポートで入国しようとして東京入国管理局に拘束されました。

その報告を受けた外務大臣の田中真紀子は、上の「なんで私が・・・」からはじまる発言をしたそうです。外務官僚が説明を試みるも「パスポートがなければ、作ってやればいいじゃない。何でもいいから早く外に出しなさいよ!」と…。

当然ながら国家が率先して偽造旅券を作るわけにはいきません。そんなこともわからんのか? とは思いますが(笑)結局、政府はこの好機を利用できず、曖昧にしたまま、何のお咎めもナシに金正男ご一行を北京行きの全日空機に乗せて出国させてしまいました。
この「弱腰外交」は、当然世界中に晒され、特に北朝鮮の首脳部は腹を抱えて笑ってたことでしょうね。

上村秘書官問題

外務大臣に就任してからは、とにかく誰彼構わず外務官僚たちに罵詈雑言を浴びせかけ、気に入らない職員を排除、さまざまな問題を起こしていたそうです。

パワハラ攻撃を受け、それが原因で(と言われていますが)上村秘書官は5月10日に吐血。自宅療養を余儀なくされました。
彼の本心は「とにかく外務大臣のそばに戻さないでください」というものだったそうですが、真紀子外相は「上村秘書官は(外務省の人たちによって)自宅軟禁されています!」と記者団に不満を吐露。上村秘書官の自宅には、毎日のように外相本人から電話が入り、留守番電話に威圧的なメッセージを残していました。

真紀子外相は、上村秘書官に対し「一日も早い前線復帰を祈ります」とメッセージを添えてお見舞いを贈りました。それは、高価な胡蝶蘭の「鉢植え」でした。
ご存じの通り、病人に対して鉢植えを贈るのはタブーです。知らんでやったのか、知っててやったのかは知りませんが、しかもその胡蝶蘭は、外相の就任祝いの使い回しでした。
原因が自分自身だということに最後まで気付かなかったと、周囲は皆思ってたそうです。

9.11における大失態

アメリカ同時多発テロ事件、そのときはすでに「蚊帳の外」に置かれていた真紀子外相に機微な情報を伝える者はいなかったと言います。
それでも「何か情報はないの? 情報は!」と騒ぐ彼女に対して、ワシントンの日本大使館の柳井大使がグロスマン米国務次官補からひとつの情報を捻出させました。
「お見舞い感謝します。ホワイトハウスはじめ、多くの政府機関は、すでに避難して安全な場所にいるので大丈夫です」。それは、同盟国である日本の駐米大使だけに伝えられた「極秘事項」でした。

翌深夜2時、真紀子外相はそれを小泉首相に直接伝えるべく官邸にやってきますが、すでに首相は公邸に戻って休んでおり、取り次いでもらえませんでした。
官邸を出たところで記者団に囲まれ、なんと、あろうことか、その極秘事項をペラペラと喋ってしまいました。
「国務省は撤収して、アーリントン墓地近くの研修所に臨時の国務省を開設して避難しました。責任者はアーミテージ国務副長官で・・・・」
外交上の機密事項をマスコミに漏らしてしまうという大失態を犯した日本政府に対し、アメリカ側は不信感を抱き、非公式ながら柳井大使に抗議が伝えられました。
当の本人は、「実害がなかったんだから問題ありません。苦情もまったく来ておりません」と開き直ってたそうです。

同日の天皇陛下への内奏で

大失態を犯した同日に、皇居で天皇陛下に謁見して、内奏が行われました。

真紀子外相「小泉総理はこのテロを契機に自衛隊をどんどん海外に出そうと考えています。問題だと思います」
天皇陛下 「そうですか」

(中略)

真紀子外相「(同時多発テロに対して)どこかの国がおかしなことをやっているのではないでしょうか」
天皇陛下 「・・・・・」(無言で頷きながら)
真紀子外相「イランが裏で関わっていると思います」
天皇陛下 「そんなことはないと思います」

内奏を終えた真紀子外相は、戻ってきてから省内で「天皇に怒られちゃったわよ」と話し、その後、誰彼かまわず天皇陛下との会話の内容、内奏を話してまわったそうです。
後に「内奏漏洩事件」と呼ばれるものですが、それを耳にして驚いた当時の中谷防衛庁長官は「そんなことを話してはダメだ! 閣僚として大問題になってしまう。過去にもそれで辞任した閣僚がいる。内奏は決して口外してはならないんですよ!」と窘めましたが、当の本人はと言うと「どうしてなの? どうしてなの?」と、ただただうろたえるばかりだったそうです。

外務大臣としての「社交」の評価も酷く

真紀子外相の、いわば「異常な振る舞い」は、在日大使館や諜報機関を通じて、すでに各国の本国に伝えられていました。
「外交」の能力のない外務大臣であった彼女は、「社交」のための大臣として存在しているという線で落ち着いていました。しかし、この「社交」の意味での評価も酷いものでした。

ヨーロッパのある外交官はこう語りました。
「社交界での真紀子外相の振る舞いは、〝醜い〟の一言に尽きる。日本はあんな人物を外務大臣にしておいて恥ずかしくないのか? 例えばレセプションの席上で、彼女はよく髪に手をやり掻き分けるという仕草を繰り返していた。みんなあれを見てギョッとしていたよ。あれは街娼が男を誘うときのサインと同じだ。それからタブーとされる鼻をいじる仕草も見苦しい。みんな顔をしかめているのに、なぜ、日本の外交官は誰も注意をしないんだ?」

アメリカでも彼女のマナーには疑問が呈されていました。
「彼女はアーリントン墓地への献花の際、ハイヒールを履いていた。前代未聞だよ」と…。

こういうエピソードは、まだまだたくさんあります。長くなりますし、きりがないので書きませんが、田中家内での書生さんやお手伝いさん、ドライバーへの仕打ちも酷いものだったと、関係者が多数証言を残しています。


どれだけの人びとを傷つけ、どれほどの国益を損ない、税金を無駄に費してきたことか…。このような人物が公人として国の要職に就いていたことには、驚きを隠せない思いです。

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