YOSHIKIというミュージシャンの変遷を音楽雑誌「GiGS」 や「Drums magazine」で考える。
昔の音楽雑誌を買って、読むのが好きだ。
雑誌のバックナンバーは、無用の長物などではない。新たな発見や気づきに溢れている。
実はネットにも載っていないような情報も、雑誌には未だにあるのだ。
そこで、YOSHIKIが表紙の「GiGS(シンコーミュージック刊、現在は休刊)」1996年5月号のYOSHIKIのインタビューを読んでいたら、色々思うところがあったので、書く。
あの忌まわしき「DAHLIA」のドラム・レコーディングに、なんとGiGSが招待されるという、破格の待遇の後のインタビューである。
今だったら、ちょっと考えられない。
当時のGiGSはよほどYOSHIKIに信頼されていたのか…。
事実、YOSHIKIスタッフからも「外部の人間をレコーディングルームに入れるなんて考えられない!僕たちですら入れないのに」と、驚きの声をあげていた。
レコーディングでのYOSHIKIは、短パン一枚、上半身裸、ヘッドホンを固定するヘッドリスト、足元はカンフーシューズ、というシンプルな出立ち。
仮オケのプレイバックが始まると、YOSHIKIは演奏を始める。
サウンド作りの段階でフルストロークでドラムを叩くYOSHIKI。
9分近くある大曲をなにかと格闘するようにYOSHIKIは駆け抜けた…と記載されている。
「すっげぇ・・・」
と、思わず現地スタッフが漏らす。
ブースで叩くYOSHIKIはライヴより凄い、とGiGSは書いている。
「衣装もない、メイクもない、オーディエンスを意識したような動きもない。
いっさいの飾りが排除された、曇りのないダイヤモンドのように、ピュアなドラマーとしての気迫のみが、ガラスを通してコンソール・ブースにいる我々に迫ってくるのだ(以下GiGSからの引用)。」
まるで目に浮かぶかのような、鬼気迫る描写だ。
インタビューにおいても、YOSHIKIはドラム・レコーディング時となんら変わらぬ「殺気」を、言葉から感じさせる。
例えば、タイトルトラック「DAHLIA」のBPM173(テンポ)についても、YOSHIKIは(なんとなくこのテンポで)と、曖昧ではなく、彼なりの理由があって設定している。
YOSHIKI「173と決めるまでに本当に何回も何種類も作っている。180もしくは、177、171、172…なんで173かと言うと、173っていうのはギリギリの所なんですよ」
GiGS「ギリギリ?」
YOSHIKI「スラッシュメタルとパンクのノリがギリギリできる…要するにロックンロールっぽいノリとスラッシュメタルが、その172で分かれると俺は思ったの。172以下になるとグルーヴが変わってくる」
GiGS「ロックンロール寄りになってくる?」
YOSHIKI「そう。逆にそれ以降になるとただのスピードメタルになってくる。「DAHLIA」ではその間を追求したかった。そのテンポを決めるだけで、俺、そこに何週間もかけてると思う(笑)」
GiGS「ひぇ〜」
(以下GiGSからの引用)
…上記の彼の言葉を読んだだけでも、YOSHIKIが如何に精緻に、緻密に楽曲を捉えているかが如実に分かる。
さて、お次は2023年の春号の「Rhythm&Drums magazine」から見るYOSHIKI像を。
前出の「GiGS」から27年後のYOSHIKIである。
「ドラムマガジン」で読む彼のインタビューだが、根本的には変わっていない。
変わっていないとは、音楽に対する姿勢や思考が、だ。
しかし、上記のGiGSの頃と比べると、発言に「圧」を感じない気がする。
Xが活動していた時は、YOSHIKIの発言が活字になっても「殺気」を感じるのに対し、ラスロクのインタビューだと「殺気」までは感じにくくなっている。
これは「年齢のせいだ」とか、そういうつまらないことではなく、恐らくこのプロジェクトに対する意気込みが少し薄いのが原因かもしれない。
しかし、このラスロクで、決定的且つ、具体的に変わったことがある。
それが、コレである。
なんと、あのYOSHIKIがワンバス、ワンタム、2フロア・タム…。
ドラム・マガジンのインタビューでは、
「あえてシンプルなセットにして、どれだけ激しいことができるのか。それに挑戦してみたかった」
と語っている。
言葉だけ読めば(へぇ、そうなんだ)とも思えなくもないが、正直言うと俺には「手抜き」に見えてしまった。
というのも、X JAPAN再結成の08年あたりのYOSHIKIは
「僕からツーバスを取ったらなにが残るんだろう?っていうくらい(笑)そのくらいになっちゃってます」
と、言っていたYOSHIKIだ。
そもそも論、ラスロクのデビューシングルの「THE LAST ROCK STARS(Paris mix)」。
この曲自体が、
壊滅的にダサい。
と言うか、そもそもバンド名もダサい…。
異論は認めない。
この意見に反論する奴は、単なる信者だとしか思えない。
勿論、反論として「このあとツーバスに戻した」など意見はあると思う。
しかし、である。
そのあと、新曲「PSYCHO LOVE」を発表したのち、ラスロクは音沙汰が絶えた。
YOSHIKIの口からは、ラスロクの公演が中止になった時の声明が
「スケジュールの都合のため」
とのことだったが、
(コンサートを開催することが、スケジュールでは・・・^^;)
と、内心ツッコミを入れた人は、俺以外にいなかっただろうか・・・?
俺は、思いっきり違和感を抱いた。
(なんか、ヘンだぜ…)
と。
そもそも、YOSHIKI以外のメンバーも(HYDE、SUGIZO、雅-miyavi-)誰ひとりとして、このプロジェクトについての言及がない。
それどころか、各々の活動に精力的だ(まぁ、それでイイんだけど…)。
YOSHIKIはディナーショーやらバラエティーやら24時間テレビやってるし・・・。
正直
(もう、ラスロクやんねぇんじゃね?)
と思うのは俺だけだろうか・・・。
というか、仮にやったとして、観たいか?という部分もある。
ライヴの曲目を見れば分かるが、オリジナルがほとんどないから、各々の持ち曲で時間を繋げている。
どうも、それも腑に落ちないのだ…(>_<)
過去の遺産で食っているようなライヴはどうなんだろう…。
過去の遺産、で思い出したが、YOSHIKI自体、表立った活動をするときはXの曲しかやらない。
とりわけ「ENDRESS RAIN」「FOREVER LOVE」「Rusty Nail」がお気に入りだ。
「say anything」とか「CRUCIFY MY LOVE」なんて、まずやらないもんな…(この2曲、俺、大好きなんです)。
つまり、YOSHIKI=Xなのだ。
そのXからなんと、ベースのHEATHが亡くなってしまった…。
彼の訃報を聞いたとき(そんな…)と、落胆した。
HEATHの献花式には行けなかったので、オフィシャルHPに手紙を書きたいから、住所を教えてくれとメールを送ったが、返答がなかった。
しかし、hideのbirthday party(川崎クラブチッタ)に行ったとき、HEATHに一分間の黙祷を捧げる場をhideの実弟、松本裕士さんが設けてくれたので、それを俺なりの追悼とした。
ご存知だと思うが、toshlはXから、というよりYOSHIKIから距離をとっている。
今の現状を見ると、97年のTOSHIの脱退も必然だったのでは…と思えてくる。
洗脳どうこうではなく、だ。
ファンもラスロクが復活するより、Xが活動してくれるほうが何倍も嬉しいだろう。
そのXはInstagramでの謎の投稿が物議を醸し出したが、結局そのあとなんもなし…。
ちょっと
(今のYOSHIKIのやり方はおかしいんじゃないか)
…と、思う(ついでに弟もおかしいが…😓)
迷走しているように見えるのだ。
だけど、なんだかんだ書いても俺はYOSHIKIのことが好きだ。
一年前だか二年前かは忘れたが、有楽町のオーケストラを交えたクラシックコンサートも行った(開演一時間、待たされたけど…😓)。
好きだからこそ、ここ最近のYOSHIKIのやり方に引っかかってしまう。
もうtoshiと和解して、X復活させるしかないと思う。
だけど、それが難しいのかな…。
なんとも歯切れが悪いが、いまの俺の気持ちをつらつらと書きました。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
了