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(音楽に魅力があったのはナゼか・・・)と、考えてみた。

10代の頃は、音楽が好きすぎて大変だった。

今とは違って、YouTubeなどで手軽に無料で聴けるものではなかった。
聴こうと思ったら、買うかレンタルしかなかった。
しかし、買うと言っても、CDは高価なものだ。
ましてや中学〜高校生くらいの子供には、そんな大量に買えるものではなかった。
当時の俺は(もうクオリティどうのこうのより、とにかく沢山聴きたい)という考えだった。
日本アーティストの音楽CDは、シングルなら1,000円前後、アルバムなら3,000円前後が相場だった。
俺の行動半径には「中古販売店」というものが無かった。
だからCDを買う=新品だった。

だけど(とにかく沢山買いたい)病の俺は、他に目を転じた。
70〜80年代くらいの海外ミュージシャンのCDは安価に売られていることが多かった。
帯に「SUPER NICE PRICE」とか「FOREVER YOUNG」と表記されているCDなどが、主に安く売られていた。

こういった帯のシリーズは、安価な値段で買えた。

それらが大体1,600円前後だったかと思う。
単純計算で、日本のミュージシャンのアルバム2枚分とも言える。
(そっちのほうが沢山聴ける!)
俺はもっぱら「バンドやろうぜ」や「Player」とか読んで「名盤特集」みたいな記事があれば、片っ端から、それらを参考にCDを買っていた。

(輸入盤のほうが安いじゃん)
と思う方もいるかもしれないが、輸入盤はペラッペラのブックレットに訳詩も帯もライナーノートも付かない味気ないものに思えて、あまり好きでは無かった。
未だに輸入盤は「それしか無い」場合を除いて買わない。

厭世的な感性を持った俺には、当時、音楽は「趣味」というより「精神安定剤」だった。
「好き」というより「依存」していた。

あの頃はCDを買うのがなにより楽しかったのだ。 

産まれて初めて渋谷の「TOWER RECORDS」に行った時(ここのCD全部欲しいッ)と本気で思ったものだ…。

だけど、今はどうだろう…。
未だに月に一枚もCDを買わない月は無い…

が、もう昔のような「ワクワク感」はゼロに近い。
なぜか?
「それは、沢山買ったからでしょ」
と言われれば
「まぁね」
と言える。
もうトータルで5,000枚は超えているハズだ。

だけど、俺が書きたいことはそうではない。
枚数なんか、いいのだ。

じゃあ、なにか?
俺は間違いなく「YouTube」の存在が、音楽作品を買うことの魅力を減退させてしまったと思う。

すこしズルい書き方になるが、これは
「だからYouTubeは悪だ!」
と書きたいのではない。
寧ろ俺は「YouTubeに救われている」と言ってもいい。
これは恐らく、俺以外の人もそうだろう。

しかし、このSNSの恐ろしさは
「あまりにも便利すぎて、音楽の魅力を失わせてしまった」ような気もする。

いま「〇〇の新譜が出ます!」
とニュースを見ても(オオッ!ついに!)とはなりにくい雰囲気があると思う。

何故なら「YouTube music」で、直ぐに無料で聴けるからだ。
聴く、という音楽の基本は、上記のサイトに行けば、即、叶えられる。

そうすると俺はこう思う。
(買うのなんて、バカらしい)
と。
もうこうなると、CDを、レコードを買う理由は
「完全なる自己満」
の領域だと思う。
これは、もう、オナニーだ。

「なにを言うッ、CDを買うことでブックレット見たり、チケット先行販売権利や、グッズプレゼントに応募できるじゃあないか」
と言う反論もあるかもしれないが…。
「暖簾に腕押し」「糠に釘」って、ところだろーか。。。

「無料で聴ける」
これに勝る魅力とは思えない。

黎明期の「YouTube」はシロートのアップロード動画で(音質、悪ッ…(~_~;)…)と思うこともあったが、
最近のは、下手すりゃCDより良い。
昔のCDって「〇〇というバンドと△△というバンドで音量にバラつきがある」みたいなことがあった。
また80年代後半から90年代前半くらいのCDには「なんかモコモコしている」音質の物も多々あった。
昔のDVDとかもそうで、自分が持っているDVDの映像より「YouTube」にアップされている動画のほうが画質が良かったりすることが往々にある。

つまり「金出して買うことが意味ねェー」時代なのだ。

そうすると「買ったことによる特別感」なんて皆無である。

そして「音楽は魅力的なものではなくなった」のだ。
これは音楽そのものの魅力ではなく、
「音楽作品を買うことの魅力」だ。

こんなこと書くまでもなく「軒並みCDショップは潰れている」現状だ。

昔「The Beatles」が「日本武道館」でコンサートをやると決まった時
「神聖なる武道館で英国人のロック・コンサートなんぞ言語道断」
という反対運動をされた方々がいた。

それを今の視点で見れば
「旧態依然とした頭のカタイ、ロートルどもが騒いでいる」
という見方もあったかもしれないが、
俺などは
(彼らの言う主張にも一理ある)
と、思う。
だって「柔道」や「剣道」「空手」など伝統的な武道を真剣にやっている人たちからすれば、
「ナンデ、ロン毛のチャラチャラしたガイジンどもが、武道家の憧れの地に立つのか」
と憤慨する気持ちは、ある程度、理解できるのだ。

しかし、そういう反対派の運動が返って「The Beatles」の存在を魅力的に魅せた…とも思う。

いま、そんな主張をする団体がいるだろうか?
というか、そこまで大人から煙たがられるロックバンドがいるだろうか?

俺はいないと思う。
反対運動をするのだって、かなりのエネルギーがいるのだ。
それほど熱量をもって反対される「The Beatles」は俯瞰して見ると「稀有なバンド」だったと思うのだが、どうだろうか。
いつだって若者と大人の間には「理解されない」境界線があった。
しかし、今は寧ろそのラインが曖昧になってきている。
昔、髪を染めているアーティストを見て「こんな奴らロクな奴らじゃない」と言う大人たちがいたが、いまはそんな言葉さえ聞こえてこない。

つまり、そういう時代じゃなくなった。

冒頭の主題である「音楽を買うことが魅力でなくなった」のと同様「ロックも魅力が無くなってきている」。

結論。
「お金を出して買っていたから、音楽には魅力が感じられた」
のだ。
少なくとも俺にとってはそうだった。

そんな俺に残されたものは。

「音楽を演奏する」それだけなのかもしれない。

あ、あとは「ライヴに行く」かな。
だけど、ライヴもライヴでオーディエンスが撮った映像が「YouTube」アップされちゃうから、擬似体験できてしまうんだよなァ…。

渋谷で「THE WINERY DOGS」のライヴ行った時も、俺の隣りのオッサンがず〜っとスマホで撮影していたからね…( ◠‿◠ )💢
本当に最初から最後まで撮っていた。

(お前、娘の運動会、撮影している親かッ)
と思ったよ。

俺は思う。
「言葉や思想が人を変えるのではなく、ギア(機材)が人を変えるのだ」
と。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

                    了

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