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今季号の「BASS magazine」難波章浩氏のインタビューを読んで、思ったこと。
ハロウィンが終わった。
皆んな、あのイベントって楽しんでいるのかな。
渋谷のライヴカメラ観た感じだと、人は多かったけれど、例年に比べると落ち着いている印象も受けた。
実際はどうだったのかね。
俺には「ハロウィン」なんて、本来の意味合いから離れて、単なる「自己顕示欲」にまみれたバカの集いにしか見えないんだけれど…。
本題に移る。
俺はKindle Unlimitedに加入している。
その関係で、雑誌を読む機会が増えた。
それはとっても良いこと。
なんつったって、大の雑誌好きなので。
雑誌、大好きぃ〜ッ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
さて、そんな中、今季号の「BASS magazine」を読んでいたら難波章浩氏(HI-STANDARD、NAMBA69)のインタビューが載っていて、それが良かったので、法に触れない範囲で(笑)、紹介します(気になったら買ってね)。
「BASS magazine」は書くまでもなくBASSを主軸にした音楽雑誌だけど、今季号は難波章浩氏が経営するラーメン屋の特集をしている。
![](https://assets.st-note.com/img/1730459069-zjBn364MuUVD7ftWs8T2LE0R.jpg?width=1200)
(ワァオ!ベースマガジンでラーメン屋?面白いね!)
と、思って読んでいたら、お店の経営を担っている難波氏の想いを読んでいくうちに、ホロッときてしまった。
難波氏が、子供の頃から地元、新潟で親しんでいた「楽久」というラーメン屋。
このお店、難波さんが通っている当初は知らなかったそうだが、新潟を代表するラーメン屋だったらしい。
「HI-STANDARD」で上京してからも、帰省した時は食べに行くほど、難波さんにとって、馴染みの深いお店だったようだが、女将の高齢化に伴い、お店が閉店する…ということになったらしい。
そんなの悲しすぎる、と思った難波さんは、
「僕に継がせてくれませんか?」
と、提案するも、
「ミュージシャン稼業が忙しいでしょう」
と、最初は断られたらしい。
しかし、何度も難波さんが熱意を持って、お願いするうち、その気持ちに心動かされたのか、女将は、遂に首を縦にふった…とのこと。
2022年1月にクラウドファンディングを募り、その資金で旧店舗をリノベーションし、遂に9月28日に「新潟ラーメン なみ福 角田浜本店」をオープンした。
「せっかく海が目の前にあるんだから、波の音を聞きながら食べたい、という声もあったんです。だけど、このラーメンはめちゃくちゃ繊細な味なので、味に集中してもらいたかった。なので、波の音はシャットアウトして、綺麗な海と砂浜を見ながら食べられるようにしました。こんなロケーションのお店はウチだけだと思います」
と、難波氏は熱弁する。
![](https://assets.st-note.com/img/1730460324-3CF8ZxmMNkOUd6YHGS5gvIBJ.jpg?width=1200)
「バンドばかりやってきた僕にラーメン屋の運営なんかできるのかと不安だったけど、お客さんの「美味しかった」の声を聞けたときは(やって良かった)と思いました。
なにより、女将さんの味を受け継ぐことができて良かった」
と、難波さんは語る。
なんかコレを読んでいたら俺も食べたくなった!
…だけど、遠い…笑
でも、人気店らしく県外からも食べに来る人が絶えないらしい。
スゴイ!
また、音楽についても言及していて「ここ2年間はバンド活動はできなかった」と語っていた(PUNKSPRINGはやっていたけど。因みにそれ、俺、観に行きました)。
ご存知の通り、HI-STANDARDはドラムの恒岡章の逝去で、ドラム・レスになってしまい、ライヴ時はヘルプを入れて演奏している。
一時はドラマー・オーディションを応募していたが(コイツだッ!)という人に巡り会えなかったようだ。
オマケにNAMBA69のドラマーも抜けてしまい、最近、難波氏は、打ち込みのドラムなどでベースを練習しているようだ。
なにがあろうと、ベースは毎日練習しているようで「自分で言うのもなんだけど、僕はまだまだ行けると思うんです」と、自信を見せる難波氏。
しかし、読んでいると、恒岡章の不在が、かなりコタえているようにも見えた。
「ツネちゃんがいなくなるなんて、考えたこともなかった」
と、語る難波氏は、紙面越しでも、相当な苦境にいたことを伺えた。
そんな中で前述の「ラーメン屋」の運営が、良い気持ちの逃し弁になっていたようで、
「お店が無かったら、腐っていたと思う」
とも言っていた。
「曲を作って、ステージで歌う。僕にはそれしかでないですから」
そう、インタビューの最後に語る難波氏。
仲間想い、地元想いの熱い男だと、なんだか読んでいて胸が温かくなる記事だった。
難波章浩氏のことを応援したくなる、良い記事だった。
コレを読んでいる皆さんも、難波さんのラーメン屋に行ってみては?
最後まで読んでくれて、ありがとうございました♪
了