強い者が弱い者の立場に目線を合わせながらも強い奴が文句垂れる世の中
なんか普通に生活しているだけで色々と見える世の中になってきた。それは良いことでも悪いことでもあるような気がするのが、今の自分がいる場所とは違う立場になって物を言う人。
なにがいけないのか。強い人って実は強い人の目線でしか話せない、反対に弱い人は弱い人の立場でしか喋ることができない。
よくTwitterとかでは、世の中こんなに苦労している人がいるんだ!お前たちも理解しろ!!わからないやつはクズだ!!!みたいな意見がガンガンに飛び交っている。確かに弱い人は苦労するものだ。だって強い人はなにも言わないでも強いから適当に喋ったことが簡単に意見が通る(ように思う)
弱い人はどんなに言葉を並べてしっかり理路整然と説明をしたところで、強い人はそんなことわからないわけだ。見えている世界が違うとどんなに同じ立場になったとしても本当の意味で同じになることはできない。
他方強い人はどうだろうか。自分達は努力した!大切なものも捨てた!!弱いのは甘えだ!!!こういう事を言ってくるパターンが多いような気がする。確かに努力をして強くなったし、本当に欲しかったものや、やりたかったものも全部捨てて来た。そして自分は弱いということに甘えず強くあるよう心がけてきたはずだ。
でもよく考えてみると、強い人も生まれた時は赤ん坊なわけでちょっとしたことでも泣いていたわけだ。保育園や小学校でも普通に過ごしたはずなのに社会に出た途端に急に威張り腐るのは何故だろう。
多分強い人は努力したことで周りを見る力を失ったんじゃないだろうか。自分達が弱くて誰かの手を借りなければ生きていけない、成し遂げられないという事をすっかり忘れてるんじゃないのか。威張ってる人はそんなレベルじゃなく本当は周りを見ないといけないんじゃないかって思う。
でも最近のネットを見ていると、どうやら威張るというより寄り添うようにしているけど何故か意見が食い違い、結果的になんでだ!?という文句、というのもおかしいのだがそのような事を言ってる気がする。弱いものの立場に立っているのになんでだろう。
弱い強いと言ってるが結局は立場や生活環境のことでしかないので、力とか権力とかそういうものではないんだけどね。でもいい環境を持っている人は劣悪な環境で過ごしている人の立場になることはできないし、逆も然り。お互いに分かりあえずに終わってしまうものだ。
これだけネットでありとあらゆる世界を知っている人が増えたにも関わらず、両者の理解が進まないのは、見える景色が違うこと、同じものの話をしているのに見え方が全く違うこと、これが1番の原因じゃないかと思う。どうしてもこればかりは乗り越えることができないから、変な争いやお互いの言い分だとかが食い違うような気がする。
どうにかならんものかという思いと、分かり合えないなら身を置く場所を分けるべきではないだろうか、という考えが今の俺にはある。今日も明日も、そんなふうに生きていく。