渋谷が死んだ日は思い出が消えた日
もう10年以上前になるかもしれない。
渋谷に「のあ」というラーメン屋があった。
明治通りを恵比寿方面に歩いて、ドクターマーチンを少し進んだ辺りだったと思う。
ラーメン屋には珍しく雑居ビルの地下。まさかこんなところにラーメン屋なんてあるのかと思うくらいの場所だったのを覚えている。
そんなまさかは場所以外、店内にもあった。
扉を開けると一番最初に目に入るのは大型のテレビが正面にあり、ブラックミュージック、古い映画だったかはもう定かではないが流れていたのを覚えている。
販売機は新札が使えずに壁に二つ折りにされた旧千円札がたくさん吊るされていて、客はそのお札と交換して食券を買っていた。
ラーメンは背脂豚骨醤油、チャーシューがバナナ一本入っているような大きさで、名称はその見た目通りバナナチャーシューと言ったとか言わなかっとか。
大学が渋谷にあったのでよく通ったのを覚えている。
卒業してあまり近寄らなくなって、久しぶりに行ったときには「のあ」はもうそこにはなかった。
渋谷の待ち合わせといえばセンター街にあったHMVだった。何階にあったかは覚えていないけれど、エスカレーターを上がった正面にあった本屋が待ち合わせの場所だった。
ミスドを初めて食べたのも渋谷だった。
OIOIの正面今はどこもショップがある場所で、大学の友人に連れて行かれたことを覚えている。(ミスドを食べたのは後にも先にもこの一度きり)
ナンバーナインやネイバーフット、Nハリウッドが流行っていた。
ハイファッション、モード好きはエディ・スリマンのdior homme に魅了されて、当時ピート・ドーハティはケイト・モスと付き合っていた。
東横線の駅のホーム。ミニシアター。様々な場所が消えそして新たに生まれた。
「文化人類学」を大学で受けていたとき、いまでも忘れない言葉を教授が言っていたことを覚えている。
民族の死というのは文化の衰退
渋谷という民族はどんな人間なんだろう。
今や多民族化した渋谷に文化などあるのだろか?
文化とはごくごく超簡単に言えば思い出と等しいと思う。
あのときに見た、あの風景や場所。それは文化なのではないのだろうか?
渋谷系というジャンルが流行ったとき、それは渋谷という民族が渋谷で暮らしていた時代だ。その当時の思い出を持つものにとってはそれが渋谷であって今の渋谷ではない。
それはその人間にとって街が死んだ瞬間なのではないのだろかと思う。
僕にとっては渋谷とは10年ほど前の渋谷が渋谷だ。
とはいえ、今の若者にとっては今の渋谷が渋谷になるわけだが。
懐かしい場所、思い出の場所、その場所はいつでも自分にとってのその街の文化の一つなのだろう。
だからといって渋谷が渋谷であることは変わりない。
その文化に慣れるしかない。
ダーウィンは言った「生き残る種とは強いものでも、知的なものでもなく、変化に最も適用したもの」だと。
今の渋谷は、時代という環境にうまく適して生き残ったものたちの集まりなのだろう。
だとすれば、ぼくはそれに適していない人間なのだろ。
それにしても、渋谷はどこを目指しているのだろかと思うのも確かだけれども。