
シン社会人になる前に⑭悔しいことが、魅力。
悔しいことだらけで疲れました、と言われました。
悔しいことがあるとは、前に進んでいるということです。
悔しさには、2つあります。
受けの悔しさと、攻めの悔しさです。
たとえば、応援している野球選手がいるとします。
その選手がバッターボックスに入り、空振り三振します。
そのときには、悔しい気持ちになります。
その悔しさが、受けの悔しさです。
攻めの悔しさとは、自分がバットを振り、三振することです。
現代人にもっとも不足しがちなのは、自らバッターボックスに立ち、振りにいく三振です。
自ら振りにいく人は、悔しさが残ります。
みじめさが残ります。
これは自らバッターボックスに立った人にしかわかりません。
野球だけではありません。やりたいことをやってみる、行きたいところに行ってみる、仕事で企画をたててみる、好きな人に告白してみる、欲しいものを買ってみる、すべてにおいて同じです。
現状打破して、前に進みたいのなら、ネットの住人にならないことです。
ネットの住人は知識が豊富です。
重箱の隅をつくようなことも容易にできる器用な人がたくさんいます。
情報をたくさんもっています。
しかし、ネットの住人に経験豊富な人は少ないです。
悔しい思いがのった、魂の声はネットに存在しません。
悔しさはネットにありません。
ネットでバッターボックスには立てません。
バッターボックスに立つ人は、知識があるから立てるのではありません。
立とうと思って勇気を持った人が立つのです。
知識で勇気は持てません。
むしろ知識があればあるほど、バッターボックスに立てないのです。
悔しくていいのです。
空振り三振でいいのです。
そういう悔しい想いを持った人が僕は好きです。
そういう人を応援したいです。
力になってあげたいです。
理論ではないのです。知識でもありません。
想いで生きるとはそういうことです。
外野から石を投げる人間より、
バッターボックスに立って、無様に三振する人を僕は尊敬します。
しょーいち
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