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凡人が天才つぶしてんじゃねえよ。

僕の生きる原動力。

僕のワクワクすることは、『埋もれているおもろいやつに出会うこと』です。

年齢も、性別も、肩書も関係ない。

「こいつはおもしろい。」そう思える人と出会えたときに、喜びを感じます。

※僕のおもしろい、の定義は省略します。またの機会に。

もっと重要なことは、おもろい人と関わり、おもろい人がのびのびとおもろさを発揮できる場を創ることです。

僕ならそれができる。なぜなら、僕は凹凸のない人間だから。僕の特徴は、これといったものがないことだからです。

だいたい70点はとれるのです。でも100点はとれません。突出したものがないし、尖ったものがありません。

それは「なんでもある程度できる」と言えますし、「なにもかも中途半端」とも言えます。

これといって突出した特徴がないです。
でもだからこそ、人の突出したものが見えます。

0ではなく、70点のところから見えるのです。

僕が悲しいのは、おもしろい人が周りに諭されて、均されて(ならされて)しまうことです。

おもしろい、個性的な人が、社会にもまれて、矯正されてしまうこと。それがなにより悲しいし、腹が立ちます。

出る杭はもっと出ていいのです。
出る杭はもっと出ていいのです。

それを認めない、バランス好きな、日本の教育も理解しています。
出る杭は打たれるのも、打ちたい人がいるのも、理解しています。

しかし、

突出したものはどんどん伸ばすべきです。

生きる喜びとは、自分の突出しているものを自覚し、突出したもので貢献し、この世界で自分を活かしていると実感することです。


あなたにはこんな得意なことがある、突出したものがあるよ、と自覚させることが大人の役割です。それが大人の姿勢です。

人の揚げ足ばかりとって悦に浸る、評論家ひどりが増えるのが情報化社会です。マジで危ないなと思います。

凡人が天才をつぶしてんじゃねえよって。



僕は凡人ですが。

何もかもある程度できるけど、すごいできるわけではありません。

凡人な僕だからこそわかるのです。

自慢かよって思いますよね。僕も思います。

私は10点もできなくて悩んでるんだって人もいるのも理解してますし、それを30年も40年も悩んでいる人もいる。

でもそういう人って、90点100点とれるものが必ずあるんですよ。本人も周りも気づいていないだけです。

僕にとっては、これしかないって思えるものを持てるっていうことがどんなにすごいことか、うらやましいことか。

その羨ましさを、嫉妬を持ってもそこに行けないことを僕は絶望とともに自覚しました。

ほしい才能がもてないことを。

のち考えた結論は、

そういう自分の持ち味を生かしきれてない、気づいていない、スゴイやつ、おもしろいヤツを活かす、自覚してもらう場所を提供すること。


僕みたいな凡人が嫉妬して、出る杭を打ってたら、いつまでたっても人生変わんねえのです。この世の中は変わらない。

くすぶってるおもしろい人は、いっぱいいる。そんなおもろいやつのサポートしていく。

それが僕の決意であり、もっとも情熱を注げる場所なのです。


しょーいち



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しょーいち
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