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【FREE】まちが完全に終わる政策:道路拡幅の影

まちが完全に終わる政策というのがいくつかあります。

その一つが「道路の拡幅」です。商店街などの密集エリアで道路の拡幅をするのには、別の目的があったりします。

道路を広く拡幅することによって、通りを安全にきれいにする、という名目は表向きには言われますが、今更人口も減って渋滞もないような地方都市に新たな道路や拡幅は実質的には必要がないわけです。だけど、道路の拡幅をすると沿道に用地買収、保証金が支払われ、それで商店街は「いい退職金になる」と喜ぶヒトがいるんですね。

それでそれは政治もよくわかってて選挙に使ったりする。選挙公約として道路拡幅とかを市民全員の利便性向上とか中心部活性化のためとかいいながら、実際には沿道の地元の有力者とかへの実質的な集票のためのお金を配る理屈として使ったりするのです。

通りは広くなり、きれいになったら、さらにがらんとして寂しくなり、まちが終わります。更地のままになったり、住宅を建てたり、適当な土地活用がなされて、「ここに商店街や中心部があった」ことすらわからない。今なら狭い道のまま歩行空間化して、車中心ではない立地にすると繁盛したりするのですが、そういうのではなく、お金を配るのが目的の道路拡幅をするとそういう結末になったりします。

全国各地でそのようなケースをみていて、国からの補助なども利用して大規模に江戸の通りを再現してみたり、よくわからないモニュメント作ったり、カラー舗装したり、街灯を特殊なものにしたりするのですが、結果として誰も客は来ません。そんなものは求めていないからです。

よく土建屋問題が地方開発では語られますが、実はそれ以上に名士とか「地権者問題」もかなり大きいんです。土地を何らかのカタチで自治体などが買収できる仕掛けとかが、政治的には非常に重要な機能として考えられているということです。また、それをやらないと私的財産ばかりの地方で何もできないという実態もあったりします。地権者次第なんですよ。まちって。

表面的な計画とかも少し考えれば「ほんとうにそんなこでまちが活性化する?」となるものは多数あるので、一旦立ち止まって疑うことが大切ですね。道路拡幅してまちが死んでしまってから「あらま」といっても手遅れ。

結局は拡幅工事をしていない裏路地側に、しかも元々の民家をリノベして、若い料理人とかは店を出しているのです。その現実を理解すれば、いかにメインストリートの道幅を広くすれば良いなんて発想が新たな店を集める上で役立たないかわかるはずです。


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