【奈良&伊勢】八百万の神々を巡るドライブ旅
7/5-6にかけて奈良と伊勢に行ったドライブ記録を。
今回のテーマは日本神話と日本建国の聖地を巡る旅。というと大げさですが(笑
辰年という事もあって龍神様の神域にお邪魔しつつ、八百万の神々が祀られる神社を参拝してきました。
それではどーぞ!
道の駅『針テラス』で仮眠
出発は7/4夜。新東名ー伊勢湾岸ー東名阪ー名阪国道を走って、道の駅『針テラス』で車中泊。日の出近くまで仮眠します。
久しぶりの深夜の高速道。PA、SAともに大型トラックが溢れかえっているのは時代のせい?ネット通販の普及で物流がオーバーキル状態なのでしょうか(汗
明るくなってきたので針テラスを4:00頃出発。
まずは龍王ヶ淵を目指します。
神秘的な龍王ヶ淵へ
道のりは民家の真横を通る極狭の道をしばらく走ります。
対向車が来たら離合は困難でしょう。なので早朝をお勧めします。
早朝4:30過ぎ到着。もちろん誰もいません。
龍王ヶ淵は古くから龍神が住むと言われる神域とされてきたそうです。
静寂の中に響きわたる虫の鳴き声。
森と水を湛え静かに佇む龍王ヶ淵。誰の目にも触れずとも、この風景を維持し続ける自然に恐ろしいほどの畏怖と畏敬を感じます。
桟橋を歩いていると森の中から、不気味な鳴き声が定期的に響きわたります。
何と形容したらよいか・・・ヘラジカやバッファローを彷彿とさせる低く振動するような声。
でもそんな動物が生息している訳ないし・・・一瞬クマも過ぎりすくみ上りました。
正体不明のものと対峙する恐怖・・・
大自然の中の人間とはいかに無力かを身を持って体験した場所でした。
その後調べてみたところその鳴き声の正体が判明しました。
ただあの時間、あの雰囲気、あの状況でしか感じることのできない体験をしたのであえてネタバレしないでおきます。(危険な生物ではありませんでした)
龍王ヶ淵を去るころ日が出てきました。
龍神が棲む場所へ
室生湖沿いの赤い橋、室生橋からおよそ10分くらい歩きます。山道を歩いていくと鳥居が出現します。
ここが龍鎮神社です。
御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で水を司る水神様です。
渓流を挟んだ対岸に鳥居を構えています。
ここにたどり着く途中で気づくと思うのですが、巨石が多く露出していて、その岩肌には苔や植物が這い、水が滴っている様子を見ることができます。
このポタポタと落ちる一滴一滴がやがて水溜まりになり下流へと流れだす。
小さな渓流から始まり河川となり最終的に海に流れ込み大海原を形成します。
そして海から生じる水蒸気が再び山にぶつかって雨を降らす。
水は生活において欠かせません。この大きな自然の循環の中で僕たちは生かされている。と考えると自然と感謝の気持ちが沸いてきますね。
続いては室生龍穴神社。神社の背後にある岩窟に龍王が棲む「龍穴」があります。
今年は辰年であり龍神様が動く年だそうです。実際に元旦に能登半島で大きな地震が発生しました。まさに象徴的な自然現象でした。
スピリチュアル界では、日本人は金龍の子孫だと言われています。金龍は全ての龍族のボスであり、引っ張っていく使命があるそうです。
元々大地の化身である龍・・・自然を司る神様だとすると、自然から切り離された生活を送る現代人に憑く龍神は戸惑っているかもしれませんね。
祈ることを忘れてしまった忙しい現代人に、龍の存在を知らしめようとしているのでしょうか。
吉祥龍穴へ
その龍王が棲む龍穴を望める吉祥龍穴へ。
少し急な階段を数分下ると見えてきます。
平癒祈願のためこの龍穴で祈祷が行われたと言われています。
恐らく超パワースポット!
こちらは吉祥龍穴までの道のりの途中にある天岩戸。
二つに割ったような巨石が祀られています。
初代天皇を祀る橿原神宮
次の目的地は初代天皇である、神武天皇が御祭神の橿原神宮。
9時前に到着しましたが雲一つなくすでに灼熱状態(笑
境内も広大で歩いているだけで汗だくなります。
神武天皇が即位したことで日本建国が成立。以降現在まで2684年間途切れずに続く皇室は日本のアイデンティティとも言えそうです。
朝から歩きどおしで体力がゼロになったのでここで終了・・・早めにホテルにチェックインして休むことにしました。
なんとなく引き出しを開けたら古事記が入っていたので読みながら1日を終えました。
翌日
伊勢神宮へ
昨日の流れで神武天皇から連綿と続く皇室の皇祖神が祀られる伊勢神宮へ。
日本の総氏神様でもあるアマテラス様にご挨拶。
その前に、まずは伊勢神宮外宮を参拝します。
外宮には天照大御神の食事を司る神様、豊受大神が祀られています。
日本の歴史に興味が無かった以前は内宮のみ参拝していましたが、今回は違います(笑
ところで伊勢神宮はなぜ外宮と内宮に分かれているのでしょうか。
諸説ある日本神話ですが、伊勢神宮の外宮は土着系、内宮は渡来系の神様が祀られており、もともと別々の神社であったという説。これらがうまく融合することで現在の形になったという説があります。
故に内宮に祀られる天照大御神、つまり皇室は渡来系である。という説が独り歩きすることで拒絶する人がいます。
しかしながら日本は古来から緩やかに大陸と混ざり合ってできた(文化も人も)ことは、現代の日本人も、外来のものを上手く取り入れて日本流に変えてしまう能力に長けていることからも伺い知ることができます。
例えば6世紀に渡来した仏教は、元々あった神道と混ざり合うように日本の独特の信仰へと至った神仏習合。
クリスマスと正月をほぼ同時に祝うのも日本独特ですよね。(ほかの国だったら宗教が違うので戦争になるはず)
身近な例だと、うどんにカレーをかけたり・・・ラーメンがいつの間にか日本の国民食になってたり・・・
このように日本は外来のものを取り入れる能力に長けているようですね。
いずれにしても現在の皇室と繋がる日本の総氏神様である天照大御神、それを支える豊受大神、伊勢神宮が天皇陛下が日本の安寧と国民の健康を祈られる場所だと考えると、僕たち日本国民は外宮、内宮双方に感謝の気持ちを伝えるのは自然の流れだと思い、外宮も参拝することにしたのです。
続いて内宮へ。
参道の脇に目を向けると直径1mは優に超える巨木がたくさんあって、太古の原生林を彷彿とさせます。
ちなみに天照大御神には毎日2回食事が上げられるそうですが、過去1500年間、1日も途絶えたことが無いそうです。
すごいとしか形容できないです(笑
内宮の御正宮に到着しました。
こちらでは自然への感謝と天皇陛下のご健康、皇室の継続を祈りました。
御正宮の正面にあるのは食事を用意する場所だそうです。
特別な日はここで食事を用意して御正宮へと運ぶそうです。その為目隠しの壁が設けられています。
その際、外宮の豊受大神がここに来られて食事の最終確認を行うそう。
この時、食事を準備する神職は、前に天照大御神、後ろに豊受大神というサンドイッチ状態となりますが、この時だけ例外的に神様に背を向けることが許されるそうです。(面白いですよね)
荒御魂が祀られる別宮では、自分が取り組んでいること、これからどうありたいかとお伝えしてきました。
人との良い縁が繋がると良いなと思います。
伊勢神宮を後にして最後に訪れたのが車で15分ほどの場所にある天の岩戸神社。
天の岩戸神社へ
天照大御神が弟・須佐之男命の悪事を戒めるために隠れたという伝説がある洞窟があり、岩穴から湧き出る清水は「名水百選」に認定されています。
ちょっと面白い仮説がこちら↓
縄文人がシルクロードを渡り、各地で子孫を残しながらエジプトまで到着した。メソポタミア地域にある最古の文明シュメールを作ったのは縄文人である説。
その縄文人の子孫がUターンする形で、各地で醸成した文化や思想を日本に持ち『帰った』。
だから日本は外来を受け入れる許容性を持ち、全てをごった煮にできる文化がある。と。
いわゆる『日ユ同祖論』って言っちゃうから問題になるんですけど、
外宮が土着『スサノオ』で内宮が渡来『アマテラス』だとすると、もしかするとスサノオとアマテラスは一万年くらいの時間差を伴って同一神なのかもしれませんね。
神話ではスサノオは初国を大海原にしろしめした。この意味を大陸へ渡ったことだと仮定すると、やっぱり縄文系です。スサノオ信仰はエジプトまでいってUターンする過程で色々な文化や信仰に分岐していき、最終的に隣の中国の秦氏として日本へ舞い戻った。そのタイミングで名前がアマテラスに入れ替わった。のでしょうか。
この二柱が神話上、兄弟なのはそういうことなのかも。って思ったり・・・
事実、元々外宮はスサノオ信仰だったそうです。(石碑に刻まれているらしい)
神話と仮説、実際に神社や遺物として残る事実と照らし合わせていくと、面白いですし、神話がただの空想の話とは思えなくなってきますね。
ここから300mほど歩いたところに洞穴があるので向かいます。
一人分の整備されていない山道をしばらく歩きます。この道であってるのか不安になってきますが、無事到着しました。
洞穴をのぞき込んでみると、冷たい風が吹き出てきて気持ちいいです。
18度設定の冷房を強で浴びてる感じ。まさにフリーエネルギーの天然エアコンです。
自然が作り出すシステムには驚かされます。というか人工物が基本的に自然が作るシステムの模倣なんですよね。
以上、自然への畏敬を感じる旅となりました。
追記
今回のドライブ旅の翌日、すごい景色を見ることになりました。
仕事の帰り道、ふと空を見上げると・・・龍の顔にしか見えない雲が!
これも龍神様の聖地を巡ったおかげでしょうか?
神話を巡る旅シリーズ▼