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水神、雷神、風神の3柱を巡りながら水と日本の行方を考察する旅

11/3、前から気になってたスポット天城湯ヶ島、滑沢渓谷へ。

 滑沢渓谷は伊豆半島の中央、天城連山の北麓に位置しています。その名のとおり安山岩の表面が長い年月をかけて削られて滑らかになったことに由来します。長大な時は滑らかで美しい一枚岩を作りました

 そのうえを清流が流れ、終点には龍の姿を模した岩盤が構成する小さな滝(竜姿の滝)があります。

 ネットで写真を見た瞬間、まるで石化した龍が鎮座しているようなその風景にぜひ行ってみたいと思って調べると、なんと地元!これは何かの縁を感じます。

 最寄り駐車場は、国道414号沿いにある道の駅『天城越え』です。そこから遊歩道を約0.8km歩くと滑沢渓谷に辿り着きます。

 クマ出没の看板がありましたので鈴を持っていくといいでしょう。

 国道を少し山に入った場所にある遊歩道ですが、緑が生い茂り古代の森を彷彿とさせます。前日降った雨の影響でしょうか。岩肌からは水が滴り落ちところどころに小さな水場を形成しています。

太郎杉の分岐を少し歩き、獣道のような場所を清流方面に降りていくと、竜姿の滝に到着です。

 とにかく水が透き通っていて綺麗な場所。肉眼でもしっかりエメラルドグリーンです。

 僕には右側が龍の頭で左向けていて、ぐるっと反時計回りに体をまわして左側に尾の先端を落ち着けているように見えます。

 黒く濡れた岩肌がまるで鱗のよう。皆さんはどうでしょうか。

 長い時間をかけて岩を削り浸食した形成されたこの龍も、やがて消えゆく運命を辿ります。数千年、数万年後にはまた違う景色を形成しているのかもしれませんね。

 龍穴のような場所も・・・

 水の神様とされている龍神信仰は、縄文にまで遡るそうです。この滑沢渓谷のような豊富で綺麗な水を湧出する場所を人は本能的に求めたそうです。

 仕事柄山岳での光景として山に雨が降ると、涸れ川に雨水が流れ込んで再び川を形成する様子を目にします。

 その流れる水が龍が出現したように見える、そのために水が龍の姿に取って代わったのでしょうか。古代の人々の想像力に驚かされます。

水の行方

 今、日本の水源が外国資本に買われまくっているそうです。また水源は森林と密接に係ります。同時に森林も外資の手に落ち、大量伐採を行い山肌にメガソーラー、山頂に風力発電所を建設するという問題は近年の日本全国で見受けられる問題です。

 俗に言う行き過ぎたグローバル化『グローバリズム』の波が日本にも波及している影響だそうです。

 ソーラーや風力発電といった再エネは、このような環境破壊が土台となって成立している。という矛盾を孕んでいます。

 資本主義の本来の形、モノを売買してお金を稼ぐことに限界を迎えた彼らは、次に土地や権利を新たな資本主義のフロンティアとして目をつけた

 近い将来、資本主義が末期を迎え、お金の価値が一気に落ちる可能性も見込まれています。世界を高みから見ている権力者は、少しずつ(最近露骨ですが)お金を土地や権利、利権というものに変えているような気がしないでもないですね。

 結局、最大の被害をこうむるのは、資本主義に洗脳されカラカラになるまで吸い取られたホワイトカラー、サラリーマンの僕たちです。

 一部では既に現実化してしまっていることも事実。

 次に迎える新たな資本主義の元では権力者はお金ではなく、土地やライフラインの利権、権利を囲い込みます。権力者がお金を捨てればそれはただの紙切れです。僕たちは何のために働いているのでしょうか。

 最近耳にする緊急事態条項・・・巨大IT企業の情報独占、統制、規制・・・情報という新たなライフラインは既に国際機関や巨大IT企業に掴まれてしまっています。情報がお金をも凌駕する価値となる時代が間もなく到来するのでしょうか。

 いずれにせよ、権力者がルールを変えるだけで一般大衆を簡単にコントロールすることができる環境が着々と整えられていることに一般大衆の僕たちが気づかなければなりません

 <途中ですが別日の旅程をぶっこみます。>

 10/8のお話・・・この日も天城湯ヶ島、天城越えを経て下田へと向かいました。目的は下田にある白浜神社。

 道の駅『天城越え』でわさびソフトクリームを。わさびの量に躊躇しますが、ソフトと一緒に食べると刺激がマイルドになって以外にもピリ辛で美味しい。

 11時ころ白浜神社へ到着。

 下田地方にある白浜神社は伊豆最古の神社とされており、御祭神は、日本人の総氏神「日本総鎮守」と云われる大山祇神だったと云われています。現在はその妻である伊古奈比命(イコナヒメノミコト)が残り夫の大山祇神は地理的な都合、交通や人の往来の理由で、東海道沿いの三嶋大社へと遷座されました。

 白浜神社の一部を構成する海岸鳥居。海の向こう側に向けて建っている鳥居ですが・・・これは伊豆七島をご神体としているとも云われています。

下田が担う役割

 なんと3万年以上前から、伊豆半島と伊豆七島間を船で往来していた集団がいたそうです。彼らは、神津島の黒曜石を採取し、伊豆半島へ持ち帰っていたと。その黒曜石は、縄文遺跡が多数出土する諏訪地方や、ユーラシア大陸でも発見されており、かなり広域で交易関係があった可能性が出てきています。

 明治大学黒輝石研究センター池谷信之氏の研究によると、後期旧石器時代初期、本州で出土する神津島産黒曜石は人類史上最古の往復航海の証拠となる。と結論付けています。

 つまり下田-神津島の航海集団は世界最先端技術を持っていた人々であったということ。鳥居は、船で航海していた彼らが無事帰島するために鳥の帰巣本能を利用していたことが始まりだと云われています。

 地元で飼いならした鳥を船で連れてゆき、帰島時に鳥を解放。その鳥の軌跡を追うことでナビの代わりにしていた。そのための止まり木(鳥居)が鳥居となった。

 この話、凄いですよね。真偽は今となっては不明ですが近代まで伝書鳩が実際に使われていたことから鑑みても、信ぴょう性は高そうです。

 白浜神社本殿へ。

 まず巨大な御神木が出迎えてくれます。「薬師の柏槙(びゃくしん)」、樹齢は2000年だそうです。右手には樹齢1000年後に枯れて1300年経過していると云われる「白龍の柏槙」。

薬師の柏槙
白龍の柏槙

 前回は冨士浅間神社に祀られる娘のコノハナサクヤヒメ。今回は奥様へご挨拶です。

 本殿の最深部には神域とされる奥宮がありより荘厳な雰囲気が漂います。

ペリーを引き寄せたパワースポット

 富士周辺に祀られる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、三嶋大社の大山祇神、そして白浜神社の伊古奈比命。これら3柱は父・母・娘の家族です。

 神社の古さからみて下田発祥で北へ北へと遷座しているようにも見えます。

 先に述べたように、世界最古の縄文海洋集団の話と繋げるならば、下田こそが日本人発祥の地とも言えそうです。(あくまで仮説)

 日本列島の住み着いた最古の人は、海洋民族として下田に辿り着いたのかもしれない・・

 日本が近代化へと大変貌を遂げるきっかけとなった黒船来航、ペリーを引き寄せたのも必然だったのでしょうか。

 下田市内にポツンと残されている、三島神社。

 こちらには英米の未知の技術に興味関心が深かった吉田松陰の銅像が建てられています。彼は開国過激派としてテロリストとも揶揄されますが、いずれ日本が近代、西洋とぶつかるのは必然で誰かが担う運命であったと思います。

 吉田松陰はその誰かが負うであろう役目と縁が重なった人物であった、それだけ。

 善でもなく、悪でもありません。

 その証拠に、僕たちが今生、日本人として存在しているのです。

話は戻って11/3に。

 滑沢渓谷を後にして道の駅天城越えに戻ります。

 遊歩道の途中には、小さな山神社が建てられています。

 こちらの御祭神も大山祇神。日本国土のそのほとんどが山で構成されている稀有な国。大山祇神はつまり日本国土そのものである。と言っても過言ではない。

日本の行方

 それゆえに昔の日本人は、自然に対して特別な畏怖を抱きながら生きていたと思われます。それが近代の日本美術へと昇華されているように、日本独自の技術、技として今も継承されてきました。

 僕には、人の形に神性を見出す西洋に対し、東洋、とりわけ日本は神聖なものに人性を見出す感性を持っているように感じます。雷は神様の鳴らす音とされ『神鳴り』、神社では雷の形を模した紙垂として表現します。

 風神雷神図屛風はまさにその表現の延長で、江戸時代、風、雷といった自然現象に人性を投影された証。

 その擬人化文化は、現代の日本に漫画、アニメ、ゲームといったサブカルチャーの基礎となる、モノを擬人化(戦艦や刀といった無機物にまで人の心を投影する感性)してキャラクター性を持たせるという特殊性を育みました。

 時代時代の美術品など見ていくと、やはり日本は、文化断絶がない唯一の國だと改めて思い知らされます。

風神雷神図屏風/尾形光琳
紅白梅図屏風/尾形光琳

 2000年初頭以降の急速なグローバル化からの転換を余儀なくされている先進諸外国。自国の文化を守るここ数年の大きなナショナリズムの波。

 残念ながら日本は大きく遅れてしまっています

 列強相手に染まり、自分の個性を消失させられてきた明治維新以降の日本は、文化も技術も独自性が薄れてきたように思います。このままだと日本発祥以来、初の文化断絶を迎えるかもしれません。

 だからこそサブカルチャーとして花開いた現代の日本発の娯楽は、これまで同様、敗者の歴史を紡いできた口伝、口承によって受け継がれてきた日本の精神の塊である、と感じます。

 神楽や歌のように娯楽として受け継がれてきているものこそ、日本の連綿とした本当の文化、思想が反映されています

 これら抑圧されてきたコンテンツが花開いたことは、世界を善い方向へ改変できる兆しです。

 懸念は、そのことに日本人自身が気づいていない

 これから先、世界は自国ファーストの鎖国型グローバリゼーションになるとみています。

 この世界線において日本人自身が、日本の歴史を知らないことは大きなディスアドバンテージになっていくでしょう

 日本の起源とは、国体と成しているものとは、自分が日本人として生きる上での軸というものが何であるか、これは今だけを見ても見つかることはありません。

 過去を断ち切って、未来を切り開くなど、左脳(エゴ)が発達し過ぎた自惚れマンの綿事です。

 たかだか数十年しか生きていない現代人が、数千年、数万年積み上げられた古代の文化、思想、技術、知恵を軽視して打ち捨てていく

 ミクロでもマクロでも歴史という自分のバックボーンであり、線で繋がっているはずの過去を知らずに、今の自分の立ち位置など判るはずがない、と。

 情報が洪水のように溢れた現代、流行や目の前の出来事にしか目がいかない時代、ちょっと立ち止まって考えてみると、今の当たり前は決して当たり前ではないな、と感じる旅でした。

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